「髪結いの亭主」の余白

よしだしほ
(ネタバレありです 未見の方はご注意下さい)


パトリス・ルコントの「髪結いの亭主」という映画がある。
渋谷のル・シネマでロングラン公開され、ル・コントが日本で広く知られるきっかけとなった作品だ。
この映画が公開されていた92年初春は、わたしが結婚を機に東京に出てきたころだった。
一人で「渋谷」に出かけ、文化村ではじめて観た映画がこれだった。

物語は、少年の頃から女美容師に憧れていた男・アントワーヌが、中年になって美しい美容師・マチルドと知り合って結婚し、幸せに暮していたが、ある日突然彼女が川に身を投げて死んでしまう、というものである。
夫から愛されすぎるほど愛されていた彼女が身を投げるなんてまったく予想できなかったわたしは、この突然の幕切れにしばらく席を立てないほど驚いた。
そして時間がたってから、「マチルドは老いて、愛されなくなるのは耐えられなかったのかもしれないわね」と思ったのだった。

最近、十数年ぶりにこの映画をビデオで観た。
かなり細部にわたって覚えていたのは、この映画がよほど印象深かったからだろう。すでに物語の結末は知っている、わかっているはずの結末だけれど、わたしは息苦しいほどの思いで観ていたのだが、あろうことか隣で一緒に観ていた夫は「これってさぁ、このまま続くワケないよなぁー」とか言い出し、最後にマチルドが雨の中へ走り去った時には「彼女、自殺しちゃうんじゃない?」と言うのである。
そ、そりゃそうだけれど、はじめて観たのにどうしてすぐにわかるのさ?おまえさん!

アントワーヌは「君のお腹が、膨らむなんて耐えられない」と言って子どもを作ることを拒み、ずっと君を見ているのが僕の幸せなのさと言わんばかりに、マチルドを愛人のごとく愛し崇拝する。
そうされる方はどんな気分なんだろう。
羨ましいし、確かに最初はいいが、実際、ずっとそんなことを言われていてはたまらんだろうと思う。

歳月は人間を変え、その関係を変える。
激しい情熱は萎え、その代わり家族を作り穏やかなものに変化してゆくものだろう。
そんな当たり前のことを受け入れなかったアントワーヌ。
彼女が耐え難かったのは、愛されなくなることではなく、アントワーヌが永遠に変わらないと思いたがる二人の関係にこそかもしれない。
はじめてこの映画を観てから十数年たったわたしはつらつらとそんなふうに考えている…。

映画は観るときに置かれている状況や気分で、抱く感想は違うし、どれが正解ということもないと思う。
幼いときは幼いように、年をとればそれなりに。
そして「髪結いの亭主」のように深い余韻を残しつつ、さまざまな想いを抱く余白がたくさんある映画は、やはり素敵な映画だなと思う。
これから十年後、わたしがさらに年齢を重ねたら、どんな想いでこの映画を観るだろう?それもまた楽しみな映画である。

 

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