ダイエーの少年
武重邦夫
2004年の師走、各紙が一斉にダイエーの産業再生機構への編入を報じた。
バブル崩壊後、最後の最後までのた打ち廻っていた巨大スーパーが力尽きた瞬間だった。
栄枯盛衰は世の習い、 驚くまい。 でも、あのオレンジマークはどうなるのだろう?
この十数年、 夜空に輝くオレンジマークを見る度に僕は一人の少年を思い浮かべ困惑していた。
いや、 困惑という表現は正確でない。
懐かしさや後ろめたさ、 或る種の不安が入り交じった不思議な感情と云うべきか・・・巧く言えないのが残念だ。
オレンジマークを見ると彼はスッと僕の記憶の中に滑り込んでくる。 くすんだネズミ色の厚地のジャンパーに身を包んだ、丸顔で色黒のずんぐりした体躯の18歳の少年だ。
しかし、 どうしたことか?彼の顔は輪郭だけで表情が見えない。
肉厚の唇からぼそぼそ発せられる言葉は覚えているのに、名前も思い出せないのだ。
少年と会ったのは、多分、1980年前後だと思われる。
僕が「ユリ子からの手紙」というドキュメンタリー映画を撮影していた頃だ。
撮影が終わりかけた寒い日、1月か2月ではなかろうか。その少年は僕の前に現れて 『映画をやりたい・・』と言ったのだ。
『そうか、映画をやりたいのか。でも、この仕事は楽じゃないぜ』
僕は少年に向って、やや否定的に言ったように覚えている。しかし、少年は鈍い表情で見返すだけで何も言わなかった。
素直じゃないな、 こいつ・・・。そう思ったが、何故か僕は彼を追い返さなかった。
それどころか、行きつけの喫茶店で彼にカレーライスを食わせ、彼はそれから10日ばかり僕の撮影クルーに混じり込んでいたのである。
映画の知識も経験も無い少年を何故クルーの片隅においたのか?
迂闊だが、 ずっと長い間、僕は今村監督から頼まれた少年だと思い込んでいたのだ。
しかし、4年程前に今村氏に質したところ、少年のことは全く知らないと云う。じゃ、あの少年は誰が連れて来たのだろう?
まるで薮の中の話で気持ちが悪い。
僕はそれからも関係有りそうな人に片っ端から聞き まわった。だが、 誰も少年のことは覚えていない。
唯一の手掛かりは映画学校のベテラン職員の赤塚さんの言葉だった。
『お金が無いけど映画学校へ入りたい。横浜の頃、そうした入学希望者が多かったでしょう。多分、武さんが相談に乗ったんじゃないですかね・・』と彼は言ったのだ。
『う〜ん、 そうだったのかな・・・』そうは応えたが、学校で面接した記憶は全く無い。
ただ、お金が無いという赤塚氏の言葉が小さなトゲのように僕の心に突き刺ささった。
そう。 少年にはお金が無かった。 有るはずがなかったのだ・・・・。
少年はドキュメンタリーをやりたいと言った。
どんな作品を作りたいのかと聞くと、 『ダイエーの犯罪を告発したい・・』と言う。
『ダイエーの犯罪?』 僕は驚いて聞き直した。
『ダイエーは大資本で小売店を潰している。 商店街は壊滅です』
『しかし、 そうさせないために大店法が有るんだろう?』
『あんなの何の役にも立たない。 実際に小売店は潰れているんです』
『でも、スーパーはいろいろ有る。 ダイエーが止めても他がやれば同じじゃないか』
少年は少し驚いたように僕を見詰めた。 何故、 そんな風に言うのか?そんな顔だった。
『ダイエーは資本主義の悪の象徴なんだ・・』 彼は伏せ目になって小声で言った。
『日本は資本主義の国だろう?』
『・・・・』
『それに、 ダイエーの中内氏は価格破壊をやって古い流通機構に挑戦している。庶民が安い買い物が出来るように戦っているんだ』
『そのために・・商店街は潰れている・・』
『じゃ、君は庶民に高いものを買えというのか?』
僕は社長の中内功氏と会った事も無いし、彼の価格破壊の著書も読んでいない。ただ、屁理屈で少年を押さえ込んだのだった。
『・・・・』
少年は小さく呻き黙り込んだ。納得出来ないと顔に書いてある。
心ないことを云ってしまった・・。一瞬そう思ったが、僕は少年の胆汁質が厭で言葉を飲み込んだ。
『また、 こんど話そう』
スタッフが来たのを潮に僕は席を立った。
その頃、 僕の所属する今村プロでは「ええじゃないか」という映画を作っており、今村さんはダイエーの機関誌「オレンジページ」にエッセイを書いていた。有名な女性編集長に頼まれての仕事だった。
ダイエーとの関係はそれだけで、僕自身はダイエーになんの関心も無かった。
そんな僕が、 今村さんから耳寄りな話しを聞いたのは少年が現れる二月位前のことだ。
『中内さんが、大店法で使用出来ないデッドスペースに小さな映画館を作るそうだ』
『えっ、本当ですか!』
『ミニシアターを作り短編映画を上映する。 ダイエーの全店舗に広げたいと云っていた』
『凄いですね。日本映画界に流通革命が起きる!』
マイカルがワーナーと組んでシネコンを誕生させる15年も前の話である。
当時はまだ大手の映画会社のブロック・ブッキングが主流で、それが独立プロの発展を妨げていると思われていた頃だ。
僕は見知らぬ中内功氏を救世主の様に思い、ダイエーの屋上に映えるオレンジマークに胸を躍らせた。
少年はその後2日ばかり姿を見せなかったが、3日目にぶらりと事務所へやって来た。
相変わらず黙ったまま、拗ねたような目でこちらを見ている。
『コーヒー飲みに行こうか』 先日の事が気になり近くの喫茶店へ誘った。
コーヒーを飲みながら僕は新聞を読んでいた。
この少年とは会話も無いし縁も無さそうだ。いずれ、僕らの前から音も無く消え去るに違いない。
『今村プロはダイエーと何か関係があるのですか?』
しばらくして、 少年が口を開いた。
『別に無いけど』
『そうですか・・』
『君に誤解のないように云っておくけどね。俺だっ て別にダイエーが好きな訳じゃ無い。ただね、中内社長は日本中にミニシアターを作ろ うとしているんだ。
これは日本映画界の流通革命だ。君だって映画を作るようになれば分かるけどさ、映画館が無ければフリーの活動屋はどうにもならない。新人なんか登場する場が無いんだよ。うちの学生のためにも映画館は必要なんだよ!』
僕は次第に激し大声を上げていた。ふと、 そんな自分に気づき急速に気持ちが萎える。
『これは資本主義とかじゃなく、日本映画の話なんだよ』
『分かりました・・。 もう、 いいんです』
少年は分かったと云うように頷いた。 先日とは違い素直な態度だった。
僕には少年が納得して無いことが分かっていた。
でも、 そんなことはどうでも良いのだ。 この純粋な若者が生きて行くには、東京は苛酷で汚濁に満ち過ぎている。
もし、映画を やりたかったら故郷に帰ってやれば良い。映画なんか何処でも作れるのだ。
『ところでさ、 君は何処から来たんだっけ?』
『岡山の郊外の小さな町です・・』
彼は確かにオカヤマと云ったような気がする。
僕は数十年間、 そう思い込んでいた。
だが、 最近になって岡山ではない気がし始めた。 フクヤマかと考えたが自信が無い。何故か、彼に関する記憶は泡のように溶解してしまう。
『 そうか。 お父さんはサラリーマン?』
『いえ、 自営業です』
『工場かなにか?』
『小さな雑貨店です。 去年、潰れて失業中です』
『 ・・・・ 』
『ダイエーが出来てから客を取られて・・・、隣の洋品店も潰れました』
『そうゆうことか・・・』
晴天の霹靂だった。 僕は軽い衝撃を受けて黙り込んだ。後悔が口中に苦く広がる。
少年にとって、ダイエーは貧しいが幸せだった家庭を奪った憎い仇なのだろう。
店だけでなく、彼や幼い弟妹の未来をダイエーは巨象のように踏み潰したのだ。
少なくとも少年はそう信じていた。
しかし、ダイエーは場末の雑貨店の悲劇を知らない。実感も無いし自覚も無い。
それに、ダイエーだけを責めてどうなるものでも無い。
こんな時、人はなんと応えたら良いのだろう?慰めるのか?ダイエーを叩くか?
しかし、次の瞬間、 僕の口を衝いて出た言葉は自分でも信じ難いものだった。
『気の毒だけど、 これも時代の流れだからな・・・』
いま思い出しても忌まわしい言葉だ。 本当は何も云いたくなかった。
ただ僕は彼を認容したくなかった。 同調した途端、中内氏のミニシアター群が音を立てて崩れ去る様に思えたのだ。
冷たいようだが・・・、突き放すしかない。
『今更、 どうにもならないけど・・ 』
小さな沈黙の後、 彼は遠くを見る目で呟いた。
それが僕と少年の最後の会話だった。 そして、少年は僕の前から永遠に消え去った。
あの少年は何処で何をしてるのだろう?
映画をやっているのか?それとも別な職業に付いているのだろうか?
もう40歳を越えてるオッさんだ。 家庭を持ち、 幸せに暮らしているのだろうか。
少年が去って間もなく、今村さんは中内さんと喧嘩しダイエーとの縁は切れた。
そして、僕が夢にまで見たミニシアター群もまた幻と化した。
25年後、 中内氏のダイエーは巨額な負債を抱え彼の手から離れた。
僕ら日本人はダイエーを支持し巨象に育て上げ、 20世紀と共に捨て去った。
少年の愛した雑貨店や、日本中の村落や商店街をも次々と消してしまった。
あの少年、 いや、オッさんはどんな気持ちで時代の転変を眺めているのだろうか。
大晦日の深夜、久しぶりにビデオで 「フライド・グリーン・トマト」を見た。
アメリカの田舎町の二つの時代と四人の女の人生を描いたジョン・アヴネットの傑作だ。
映画の最後は、病院から抜け出した主人公の老女が故郷の小さな町に戻るシーンだ。
しかし、彼女の記憶にある家や町は廃墟と化し人の気配すら無い。唯一、町の中央にあばら屋になったレストランだけが残っている。彼女のフライド・グリーン・トマトを求めて町中の人が集まったお店だ。彼女と親友と町の人達が一番輝いた思いでの場所だ。
枯れ葉の舞う中で老女は静かに呟く。
『あのお店が閉じてから人々が遠退き、町は廃墟に なったわ』・・・と。
僕はオレンジマークを見るとあの少年を思いだす。
輪郭だけの顔の薄暗い闇の向こうに、場末の雑貨店と人の良さそうな父親の姿が見える。
少年の家の慎ましい夕餉の団欒が浮かんでくる。
一度も会ったことも無いのに、家族の小さな笑いが聞こえてくる・・・・。
『時代の流れだから』 そう云った僕をあざ笑うかのように、幸せな声が聞こえて来る。
2005年1月10日記
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