安岡卓治
わたしの財布の中に、いつも御守のように収められているギターのピックがある。
FENDERのトレードマークとHEAVYという硬度の表示があるだけの、シンプルな白いピックである。
このピックを見る度に、無謀で大胆で、そしてムチャクチャに面白かった「しんゆり映画祭」のイベントのことを思い出す。
いつも、やったこともないくせに、やたら壮大な、時には破天荒な企画やイベントを想起し、気が付けば、それを引き受ける「おバカさん」がいて、やり遂げてしまう。
そんな「しんゆり映画祭」の無謀さのシンボルがこのピックだと思っている。
描いた夢を叶える。映画にそんな力があることを信じるものは少なくなった。
日本映画が、なんだかちんまりとして、日常のちょっとした延長のような現実的なドラマやテレビ番組の焼き直しばかりが目につき、あまり元気とはいえない。
アニメの世界で宮崎駿が孤軍奮闘し、ダイナミックな「夢物語」を築き、ひとり勝ちのヒットを記録したのも、もう昨年のことだ。
その宮崎アニメを育んだ大プロデューサー徳間康快の大映が、氏の没後も順調な経営を続けていたにもかかわらず、「負債処理」の名目で、先頃、住友三井銀行から派遣された役員による不見識な「身売り」によって終焉し、角川書店の傘下となった。
やくざと結託し、地上げに奔走した挙げ句の巨大な不良債権のつけを血税で贖い、名古屋支店長を射殺されるまでの凋落の果てに、文化までをも蹂躙する銀行。こんな不良企業は一刻も早く国有化し、その役員の責任を徹底追及して欲しいものだ。と、このことばかりは、竹中・小泉政権の構造改革を圧倒的に支持する私である。
怒りのあまり本題から大きく逸脱してしまったが、映画という文化にこだわるが故の暴走と、お許し願いたい。
言い訳めくが、文化とは「暴走」の所産だとも思う。映画を思いっきり楽しもうとする。「しんゆり映画祭」は貴重なのだ。白いピックを見直しながら、やはり、そう思う。
発端は、97年のプログラムに選ばれた「月とキャベツ」だった。
昨年のしんゆりでも招待を受けてくれた篠原哲雄監督の長編デビュー作である。
若いミュージシャンの恋物語、主演は山崎まさよしだった。
プログラム会議で誰が言い出したのか、山崎のライブが聞きたい。と声が上がった。
じゃあやってみよう、ということになった。
無謀である。
これにノッてしまった「おバカさん」が何を隠そう、この私なのである。
映画のプロデュースは、確かに私の本職である。
おまけに相当無謀な自主映画も乗り越えてきた自信はある。が、コンサートのプロデュースなど、一切経験はない。
にもかかわらず、つい「やりましょう。」と言ってしまった。
「月とキャベツ」は、映画としての甘さはあるものの、その素朴なラブストーリーには、ある種の清々しさを感じていた。そして、なにより山崎の歌う主題歌は、わたしをノスタルジックな思いに誘ってくれた。
叙情的なラブソングの歌詞の一節に、一語だけリアルな地名が登場する。
「桜木町」。
横浜で高校生活を過ごした私にとって、桜木町は特別な場所だった。
ガールフレンドと上手くいかず、やけになっていたころだ。
図書館のある桜木町は、受験勉強を口実に外出する格好の目的地でもあった。
図書館はほどほどに、映画館のある日ノ出町や伊勢佐木町に入りびたり、野毛の歓楽街をふらついたりもした。老舗のジャズ喫茶「ダウンビート」が終着点だった。
ある日この店で、福富町のやくざと大喧嘩した札付きのワルが私に気づき、学校では見せたこともない、人なつっこい笑顔でにじり寄ってきた。会話は禁じられ、客はストイックにスピーカーに耳を傾けることが鉄則の古びた暗い店内で、ふたり並んでコークハイを舐めながらマイルス・デイビスのトランペットに聞き入った。
県立図書館の並びにある青少年会館の音楽室に、モダンジャズのLPが多数収蔵され、リクエストカードを出せば聞かせて貰えると教えてくれたのも、彼だった。
彼も下手なトランペットを吹いた。私もサックスを吹き始めた。
必死になって青少年会館に通い、サックスの巨人・ジョン・コルトレーンのLPを聞きあさった。
やけになってさすらった街、そして、映画と音楽と友に出会った街。それが桜木町だった。
「月とキャベツ」の甘さ、主題曲のセンチメンタルさが、青春のひとときを懐かしく思い出させた。
代官山にある山崎の事務所を訪ねたのは初夏のころだったろうか。
所属事務所の社長のHさんは、まるで哲学者のような風貌だった。
天然パーマの髪をベートーベンのように猛らせ、痩身をさらに強調するようなスリムのホワイトジーンズの長い足を深く組み、気難しい顔をしていた。
予算は、限られている。こんなときは、気合いと誠意しかない。
企画書を前に一気に趣旨説明を終え、予算を切り出した。
あっさりと結論が出た。
OKである。
学園祭シーズンを前に、スケジュールの空白があった。
予算の限度から、山崎のギター一本によるミニライブに話は落ち着いた。
目論見通りである。
意気揚々と東横線を渋谷に向かいながら、ハタと気がついた。
市民館大ホールでどうやってコンサートやるの?
自分の素朴な疑問に、何も答えられぬ自分に、目の前が真っ白になった。
ステージの進行台本は自分で書いた。テレビのスタジオ生中継の要領をそのまま当てはめただけのことで、これで通用するものなのか見当もつかなかった。
舞台監督は、映画学校の俳優科の担任だった嶋崎靖に託した。彼の劇団・ユーステージ(遊舞台)は、役者が楽器を演奏したりしながら芝居をすることもあり、複雑な進行もお手の物。これでひと安心。
問題はホールの音響である。この領域ばかりは、素人以下の知識しかない。
バンドを組みライブハウスで演奏した経験のある学生にきいてみた。
「そんなの登戸駅前の音楽練習スタジオ××に頼めば大丈夫ですよ。」と、こともなげに答えた。
これにて一件落着。スタジオを訪ねると、人の良さそうな代表が、「山崎のライブやれるなんて光栄ですよ。」と二つ返事でOKだった。
照明や美術の準備は、映画制作のそれをイメージすればそれほどの困難もなかった。
山崎は人気急上昇中で、前売り券は一日でSOLD OUT。
市民館大ホールが満杯になることは決定的である。
会期も迫り、事前打ち合わせで事務所を訪ねた。
哲学者は、今や気さくな若社長になっていた。
やや光沢のあるゆったりとしたスラックスは、どうみてもブランドものである。
これまでのライブがいかに好評だったかについて延々語った後、「今なら、この予算ではまとまらなかったでしょうねぇ」と余計なことを口走った。
だが、音響ミキサーにはライブステージ経験豊富なプロを同行し、その予算は別途請求しないとのこと。大サービスである。
そして、ひとこと。
「警備は万全でしょうね。」
警備?
今やスターへの坂を急ピッチで登る山崎には、熱狂的な追っかけファンがいるのである。警備の手をゆるめると、彼女たちは、一気に楽屋を目指してなだれ込んでくるという。
市民スタッフでは手が足りず、映画学校の学生に声をかけた。するとわれもわれもと希望者が集まる。みな、ライブのタダ見を当て込んでいたようだ。
それでもまあいい。とにかく人手がそろったことで胸を撫で下ろした。
後は、本番を待つばかり。
ワーナーマイカルがオープンした年でもあり、大ホールへの大量動員により映画祭の観客動員数を大幅に拡大できることで、運営委員もホクホクだった。
そして当日、波乱は準備開始とともに始まった。
音響スタッフの動きがおかしい。
一向に準備が始まらないのである。ホールの音響設備の構造がよく解らないらしい。
市民館の技術スタッフがあきれながら、「ありゃ素人だね。」と苦々しく吐き捨てた。
会場の客席中央に音響ミキサーを設置し、ステージにある端子にマイク入力と追加スピーカー用の出力を接続する単純な設定のはずだ。
熟知しているはずの市民館スタッフは、「外部業者が入るなら、出る幕はない。」と腕組みをしながら見ているだけである。「予算を捻出して、外部にお願いします。」と言い出したのは市民館側のはずだった。意地悪としか思えない。
確かに行き違いはあった。予算交渉をした管理スタッフと技術スタッフの間に認識の違いがある。技術スタッフは、自分たちのホールの設備にプライドを持ち、中途半端な外部業者が入ることを嫌う。大事な設備機材を他人に託したくないのである。
接続は遅々として進まず、舞台監督の島崎もキレる寸前だ。昼食が済んでも、飯抜きで準備しようとする外部スタッフの作業は終わらない。
ついに山崎一行が会場入り。
タイムアウトである。
お先真っ暗。
山崎のスタッフの準備ぶりは鮮やかなものだった。
「後はこっちでやりますから・・・。」とひとこと。
こともなげにセッティングを終えた。
外部業者は天を仰いでいた。
そこで下がれば良かったのだが、これまでの不手際を取り返そうと舞台上のマイクセッティングに奔走する。
「バッキィィーン」
突然、大音響が響く。
ミキサーに無断で、ボリュームの上がったままのマイクの配線を外したらしい。
これをやると、通常の音声量をはるかに越えた大きな電気的ショックが回路を伝わり、最悪の場合、大音響とともにスピーカー内部が弾け、大破することもあるのだ。
音響機器を扱う者にとっては初歩的な注意事項だ。多少、映画録音の知識を持つ私にとっても信じられぬほどの初歩的なミスである。
ホールの技術スタッフの罵声が飛んだ。「お前ら、触るな!!」
意気消沈する外部業者。うつむいたまま、ぴくりとも動かない。
さいわい、スピーカーは無事で、やっとのことリハーサルが始まった。
楽屋でくつろいでいた山崎は、ホールの混乱も知らず、のびのびと楽しげにギターを爪弾いた。30分足らずのミニライブのために、1時間以上もかけてリハーサルする。
観客のいない会場の中央で見守っていた私は、スタッフであることの僥倖を胸一杯感じていた。本番では演奏しなかったブルースのレパートリーを堪能することが出来たからだ。
会場には、もうひとり、うっとりと聞き入る若い女性がいた。山崎とともに会場入りした彼女は、スタッフのひとりかと思われた。が、彼女に注がれる山崎の優しい視線が感じ取れたとき、その睦まじさに、こちらまでしあわせな気分になった。
開会式イベントにつづく、篠原哲雄監督と山崎まさよしのトーク。その流れでのミニライブも大成功だった。警備に動員された学生たちも聞き入っている。
同行した事務所の社長さんも満足そうだった。
終了後、挨拶のために楽屋に向かうと、通路の窓越しに会場舞台裏をのぞくファンたちの視線にぎょっとした。小さな窓に鈴なりになり、ガラスに顔を押し付けながら、山崎の身近な姿をとらえようと必死の形相で目を見開いている。
「確かに警備が必要なんだ。」
ところが、楽屋前に来ると列が出来ている。なんと警備スタッフが山崎のサインを求めて並んでいる。
社長さんの鋭い叱責がとんだ。「何を考えてるんですか!!映画祭の記念というからサインに応じさせたら、スタッフが警備そっちのけで集まるなんて!!」
スタッフを解散させて、ただただ平謝り。
憮然としたまま帰途につく一行であった。
最敬礼で見送りながら、疲れがどっと押し寄せた。
気を取り直して、一行が去ったばかりの楽屋を片付けはじめた。
メイク用の鏡の前に、ぐっしょりと濡れ、丸められた布切れがあった。
「ガラスを拭く雑巾?」
手にとって見ると、それは山崎がライブで着ていたTシャツだった。
その脇に小さなプラスティックの欠片があった。
慌ててそばにあったコンビニ袋に入れ、後を追った。
楽屋入口のファンを素早くかいくぐった一行の姿は、すでにない。
翌日、事務所に電話を入れ、社長さんにもう一度、詫びた。
Tシャツの話はしそびれた。
勝手な解釈をする。「あれはもう用済みなんだ。」
Tシャツは洗濯され、映画祭の打ち上げで、くじ引きの景品となって市民スタッフの手に渡った。
コンビニ袋に残されたもうひとつの忘れ物=小さなプラスティックの欠片・白いピックは、私の宝物となった。
このピックを時折財布から取り出し、無謀で大胆で、そしてムチャクチャに面白かった「ライブ」のほろ苦い思い出にひたりながら、創り上げることの苦渋と醍醐味を噛みしめ、次はどんな「バカ」をやろうかと懲りずに夢想する私がいるのである。