エンドロールは桜桃の味
                                  
山名 愛

「28歳」という年齢は、少なくとも私の場合は、ちょっとした出来事で過敏に反応し、朝から晩までいろいろぐだぐだ考えてナーバスになる、疲れる年頃です。しんどいです。楽になりたいです。
どのくらい過敏かというと、麻生川を散歩していて、オスとメスで並泳するコイのつがいを見て「あ コイにも相手がいる」と思って落ち込み、夫婦で泳ぐカモを見て「あ カモも結婚している」と思ってブルーになるぐらいです。ほとんど病気です。

そんな私が映画を観るとき、当然「異性」や「人生」について過敏に反応しながら観ることは言うまでもありません。
といっても、「俳優の誰々に胸ときめいて」というのとは、私の場合、ちょっと違います。
私が異性と人生について深く考えてしまう映画…しかも嘆息つき…それは、イラン映画です。

話は十数年前に遡ります。今ではそのカケラもありませんが、私はかつて「英語を勉強して、いつか海外に脱出して仕事も見つけてそこで住もう」ということばかり考えているナマイキな中学生でありました。
その下準備も兼ねて、海外文通をたくさんしました。旧共産圏からエチオピアからブラジルまで、それこそ十数カ国の人とやっていたと記憶しています。当時はEメールもインターネットも無かったので、月にいっぺん手紙をやり取りする程度でしたが、それは楽しい異文化交流でした。何度かやりとりするうちに相手と気が合う・合わないは自然と判ってくるもので、2〜3度で終わってしまう相手もいるし、数年に渡って交流した人もいます。長く交流できた人は今でも覚えているものです。
そして、今でも忘れられない男性が一人います。
イラン人です。

モハメッド君は、私より確か8歳ぐらい上で、首都テヘランに住む大学生でした。ペルシャ文字のクセがある崩し字で長文を几帳面に書いてくる人でした。実直で真面目な性格らしく、イランの文化や歴史、社会、言葉などをマメにいろいろ教えてくれました。彼のおかげで、私にはイラン文化が身近なものになりました。

モハメッド君はイラン社会の中ではエリートのようでした。彼は大学でカメラ技術を学んでいて、卒業したら映画製作スタッフとして働くことが決まっていました。映画やカメラの話をよく書いてきましたが、専門用語が多い上に映画に興味が無かった私は、その箇所だけテキトウに読み飛ばしていました。イランにも映画ってあるのかー、映画のカメラマン目指すなんて珍しい人だなー、なんて思いながら。

数年経ったある日、モハメッド君からいつも通りペルシャ語の切手が貼られた手紙が届きました。
その手紙はいつもと違っていました。唐突に「結婚してくれ」と書いてありました。
ち ち ちょっとマッテクレ、、、、
思わず「marry」には他に意味があるのではないかと、特大の英和辞典で調べたりしました。
でも、どう調べても「marry」は「結婚」。
私は当時16は越えていたので、結婚できない年齢ではない。でも、高尾の山麓でピュアにマジメに高校生していた私にとって、イランに行って結婚するなど到底リアルな話ではなく、だいいちモハメッド君を異性として意識したこともありませんでした。
オトナなら、うまく断った上で交流を続けることも出来たのかもしれませんが、オトナでもなく元来不器用な私は「ヘンな人」とひいてしまい、それきり交友を絶ってしまいました。
ええ、自ら絶ってしまったのです。

大学生になって、私はモハメッド君に遅れること数年で映画に興味を持ち始めました。
そして、あの頃は夢にも思わなかったイラン映画ブームがやってきました。
キアロスタミに始まり、マフマルバフ、マジッド・マジディ、アボルファズル・ジャリリ…次々と現れる優秀な監督たちと素晴らしい作品の数々に、世界中の映画ファンとともに私も魅了されました。「友達のうちはどこ?」など、何度観たことか。嗚呼、イラン映画万歳…。

…後悔しても、後の祭りでした。
もしあの時「YES」と答えていれば、今頃、もしかしたら、キアロスタミやマフマルバフの下で活躍するカメラマンの妻として、テヘランで悠々自適の生活を送っていたかもしれない…。
だってだって、あの頃はまだ若かったし。
人生これからだったし。
イラン映画、いや、映画自体よく知らなかったし。…

先日、実家に帰って部屋を整理していたら、モハメッド君の手紙が出てきました。開けてみたら写真が出てきました。大理石でできた豪華なペルシャ調の橋でした。
キャプションには「僕の祖父が設計した橋」とありました。
もうひとつ、王禅寺辺りの家を3軒併せてペルシャ調にしたみたいな豪邸の写真には「僕の実家」とありました。

橋の上で微笑むモハメッド君。改めて見てみると、顔もなかなかかっこいい。

……

人生の転機はタイミングだとは言いますが、私は16にして人生最大の好機を逃しました。
ただいま、慎み深く静かに余生を送っております。
結婚が人生のゴールだとも、金持ちと一緒になることが幸せだとも思いませんが、イラン映画を観たときにだけは、ついつい考えてしまうのです。
あのとき、返事を書いていたなら、と。
今からでも間に合うだろうか。もしかしたら第4夫人ぐらいにならしてもらえるかも知れない(イランて一夫多妻制か?)…。
イラン映画が終わってエンドロールが始まると、あのうねうねしたペルシャ文字の名前の中に、モハメッド君の名がないかついチェックしてしまう未練がましい私なのです。

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