しんゆり村の人々

「映画祭と私」

山名 愛



「田舎は情報早いよ。歩いてても電車乗っててもたいてい知り合いに会うし」
大学の頃、親友がふと漏らした。伯父が村長だという彼女の実家は、中国地方の山間の村。
「帰ると結婚はどうしたって聞かれるし。ほんと、煩わしいよ」。
私は生まれも育ちも町田郊外。タヌキも出る田舎だったけど、一応東京だし、電車で知り合いに会うことはない。彼女の話に大変だなあと思う反面、採れた農作物を分け合う関係、近所と蜜に付き合う関係、「村の連帯感」のようなものが少し羨ましく思えたものだった。

さて、大学を出て数年後、私は新百合ヶ丘で独り暮しを始めた。知り合いはおらず、話をするといえばお惣菜屋さんと美容師さんぐらい。知り合いがいないのは寂しかったし、心細くもあった。

1年後、軽い気持ちで「しんゆり映画祭」市民スタッフになったことから生活が一変した。この映画祭は、地元住民が主体となり、計画から当日運営まで全て行う。約80人ほどがそれぞれ空いた時間に事務所に寄り、準備作業や会議に明け暮れる。夜が更ければ飲みに出るか、夜食を調達する。終電乗り損ねた人は地元民が家に泊める。

そのような濃い関係から、急に友達が増えた。酒好き同士集まって飲む。慰安旅行で夜通し騒ぐ。大挙してよその映画祭に行く。こっそり事務所に忍び込んでバンドの練習をしたこともあった。

にぎやかになった反面、プライバシーの危機を感じたこともあった。私は映画祭会場や事務所に囲まれた場所に住んでいるので、しょっちゅう知り合いに会う。「(コンビニで買い物時)おっアイアイだ。何買ってるのー(カゴを覗き込んで)おっつ独り暮しって感じだねー♪」「アイアイこないだ麻生小の前歩いてたよね。車の中から見たよ。一緒にいた人誰?」「愛ちゃん今ヒマだったら学校来てくんない?んじゃ20分後に」「悪いけどちょっとパソコン貸してくれない?今から行く」…。かくして私はちょっとの外出でもメイクを施し、急な訪問者に備えて部屋を掃除するようになったのだった。

しかし、私も他人のプライバシーを脅かす点では同じである。誰かと会うたびに交わす言葉は「今何してるの?」「○○ちゃんは今就活らしいよ」「●●さんの映画そろそろ完成らしいよ」「▼▼と★★付き合ってるらしいよ」。

…これが村社会ってやつかしら?親友が漏らしたように、煩わしいと思うこともある。が、老若男女それぞれ一緒に人生を歩んでいるのだと思える安心感は、会社と家の往復では得難いものがある。他人の目を意識しながら生活するのは、「ちゃんとしなきゃなあ」と背筋が伸びる。その緊張感は、なんかいい。

しかも、この「擬似村社会体験」が一見そういうものとは無縁そうなこの町で繰り広げられているのが面白い。村社会に地理的条件は関係ないのか?…とふと考えたりもするが、まあいいか。かくして今日も飲み相手を探しに、駅前に繰り出すのであった。

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