「覚えていない映画」の記憶      

脇瀬 霞香実(わきせ はがみ)

その1:『やさしい女』(1969・仏、監督:ロベール・ブレッソン)
学生の頃。地元札幌で2本立てを見に行った。本来の目的は、そのうちの1本、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を見ること。2本立てのもう一本については、「あー何だかおフランスものがついてるざんすー」という程度にしか考えていなかった。ブレッソン作品のファンならば、思わずこんがりパリッと焼き上がったバゲットパン(一応フレンチテイストってことで)でボコボコにヤキを入れたくなるような、そんなミーハーな輩である。とにかく、ウイークデーの昼日中、狸小路(別名「ポンポコシャンゼリゼ」。テーマソング歌えます)という歴史あるアーケード街の中の映画館に入った。中規模の劇場に、ゆとりある配置の観客。つまりは空いていた。真中の列、やや右側に陣取って、CM、予告編を見る。そしていよいよ件のフランス作品が始まった。あ、なんだドミニク・サンダだ。この人雑誌で見たことあるよ。うーんなんだかこの女の人は自殺したみたいだ。そういう話かーふーん。ふーん。…ふーん。……ふー…ん…。…。

…。まったく暗いばっかりで何も展開がなかったなぁ。って、おい何でエンドロールなんだよ。なんでオープニングのあとに直ぐエンドロールなんだよ。なんでだよー!
あ、あたしずっと寝てたんだ…。

けっこうその事実にショックを受け、その後の『ストレンジャー・ザン・パラダイス』は意地でも目を見開いてみなければ、と、根性をいれたせいかきちんと見終われた。
この事件(っていうほどのものでもないが)のせいで、以降、ドミニク・サンダの出演作を見るたびに、「…悪かった…」と、気持ちうなだれがちな自分である。


その2:『ロッキー・ホラー・ショー』(1975・英 監督:ジム・シャーマン)
学生の頃。ニューヨークにいった。留学中の春休み、日本人の女友達と、「あのシド・ヴィシャスがナンシー・スパンゲンと死んだホテルぅ? いくしかないでしょー」と、ここでもミーハー心はとどまることを知らず、かのホテル・チェルシーに宿をとった。

滞在中のある日、小さなレコード屋で(まだCDよりビニール盤が幅をきかせていたころの話。そういう時代もあったんだよ、お嬢ちゃんお坊ちゃん)、どこかで見た顔を発見した。それはその前の休みの旅行中、全然違う町のユースホステルで出会ったアメリカ人の男の子だった。名前はジョン。いやまてよ。デイブ。いやちがう。ボブ? まあとにかくそういう典型的なアメリカ人男子の名前だった(以降、ボブ(仮)で表記)。最初に気付いたのはこっちで、そのうちボブ(仮)も気付き、「えー偶然」とひとしきり再会を喜んだ。話しているうち、「もしこの日の夜ひまだったら一緒に飲まない? それから映画にいこうよ」ということになった。それならということで、同じ時期に別のホテルに泊まっていた日本人留学生の仲間である男の子にも声をかけ、段取りは整った。

当日、場所はもう覚えていないけれど、パブのようなところで、ボブ(仮)、日本人の女友達、日本人の男友達、私、の4人は調子に乗ってどんどんビールを喉の奥に流し込んでいた。そういう状況で向かったのは「プレイハウス」という劇場。ここで事情通の方は「おお!」と思われるだろう。そう、ここは映画『ロッキー・ホラー・ショー』の上映に観客が参加するパフォーマンスで有名な歴史ある劇場だ(参考映像:アラン・パーカー監督の『フェーム』の中の1エピソード)。なるほどそういう装束の方が座席のあちらこちらにいらっしゃる。

映画が始まって、うへースーザン・サランドン若いー、ティム・カリー妖しすぎだけど歌はさすがだ、ミートローフって声高いなー、と思っていたら、来た。来たのだ。悪寒が。何だか気持ち悪くなってきた、と気付いたところから、意識は朦朧としてきた。いかん、最後まで見なければ。うー。あ、こんな気持ち悪いときに、前の座席にいるボブ(仮)は、その隣にいる私の女友達の髪を結んだリボンをほどいて、指にその髪をからませたり、肩に手をまわしたりしてやがる。おいボブ(仮)! そうかだから彼女を隣に座らせたのか。そういう魂胆か。まったくこっちはこんなに気持ち悪いのにー。スクリーンが見えないー。見ようとすると、きわめて胃が不調の様相を呈する。これは非常に危機的状況だ。回避しなければ。

と、全く映画の内容がわからないまま、ラストの場面になり、エンドロールが出た。その瞬間、自分でも不思議なのだが、混乱した頭ながらも瞬時にトイレの場所を察知し、中二階のような場所にあったそこに駆け込んだ。入り口周辺には、目の周りにぶっといアイラインをいれてピンクの髪をしたおねいさんや、黒い皮の上下をきたような方たちなど、しらふならばそーっと通り過ぎたであろう人々がいたのにもかかわらず、正面突破。そして空き個室をみつけるが速いが、一目散に飛び込んで喉の奥にこみ上げたものを(以下自粛)。落ち着いてから考えた。「わたしはいまここでなにをしていたのだろう」。トイレの壁の落書きを見ながら寂寥感にも似た感覚を味わっていた。

この作品は後日もっと田舎の映画館で自分も踊りに参加してたうえで見て以来、ビデオでも何回も見て、サントラも入手して、すっかりお気に入りになったのだが、このニューヨークでのエピソードは一生涯自分の中の「あきれた度ランキング」でトップ10に必ず上るものと思う。


その3:『ガリバント』(1996・英 監督:アンドルー・コッティング)
去年のこと。映画祭の打ち合わせに出て、その後の飲み会を途中で切り上げ、渋谷のユーロスペースでのレイトショーに向かった。以前から気になっていたこのドキュメンタリー映画に、映画祭スタッフ同期のNさんを誘って行ったのだ。イギリスの田舎の景色とそこを旅する祖母と孫のペアが出会う人々との交流を描いたロードムービー、という宣伝に強く惹かれていたので、ぜひ劇場で見たいと思っていた。

劇場について、いざ座席についてみると、結構込んでいる。初日だったせいだろうか。開演時間になってライトが落ち、スクリーンに映像が映り始めて数十分後、画面の記憶が途切れ途切れになっている自分に気付き、青ざめた。また睡魔に負けてしまっている。まずい。飲み会のビールが悪かったのか。いや、出てくる間際にひっかけた白ワインがよくなかったのか。考えても仕方のない、というよりほとんど自業自得なことばかり思いつく。一方で体のほうは「暗いし空調効いてるし、なんかのどかな画面だし、あー休んじゃお」と勝手にOFFのスイッチを入れる。理性がそれをONに切り替える。でもしばらくすると体がまたOFFに入る。自分の中で不毛な攻防が繰り広げられていた。と、そのうち画面が本当に暗くなった。「申し訳ございません。映写機器の不都合のため、今から休憩を頂きます。10分後に再開いたしますのでご了承ください」という内容のアナウンスが入った。気分転換にトイレに向かう。席にもどってきてからしばらくして映画が再開した。さあ今度は…あれ…何で…まぶたが…。…。……。理性完敗。

劇場を出て、隣にいたNさんに、「私、かなり寝てた?」と確認したら、そうだったと言われた。つくづく自分が情けなかった。自分から誘っておいてこんな状態で、Nさんには今でも申し訳なく思っている。ちなみに帰り際、ぴあの出口調査の人からNさんと私が質問を受けた。その時、よしゃあいいのに、なぜか年齢をさば読んだ。恥の上塗り。覆水盆に帰らず。この体たらく。こんな自分でも神様は許してくれるだろうかと天を見上げた帰り道だった。

結論:
その1から得た教訓―映画見るには体力必須。鍛えるべし体と頭脳。
その2と3から得た教訓―見るなら飲むな。飲んだら見るな。

以上

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