獅子の生きかた

今村昌平外伝―1
武重邦夫

 

確か昭和47年の夏だった。
事務所に戻ると、 今村さんが8ミリフィを洗濯挟みで部屋中に吊り下げ天眼鏡で覗いている。驚いて聞くと、旅行業者のN青年に頼まれて編集しているのだという。
更に聞くと、N青年のツアー客が撮った香港旅行のフィルムで、余りにデタラメに撮ったのでN青年が困って持ち込んだと判った。
N青年は30歳。本業は香港専門の宝石ブローカーで、今村さんは彼のちょっと不良がかった処が好きで出入りを許していた。
天下の巨匠が何でそんな馬鹿なことをしてるのか訝り、「やめなさいよ」と進言すると、「お前も手伝え、ナレーションを書くから音楽を入れてくれ」と逆にスタッフにされてしまった。
プロの映画屋が、素人が気まぐれに撮った8ミリを編集するなんて気違いざただ。
ところが、今村さんは二日二晩精魂込めて8ミリと格闘してストーリーを完成してしまったのである。おまけに、ナレーションまでも書きはじめている。
私は仕方なく音楽を選び仕上げ作業にかかることにした。

しかし、最初は"なぜ、大監督がこんなことを?」 と思っていた私だったが、天眼鏡を手に懸命に8ミリフィルムと格闘している今村さんの姿を見ているうちに、次第に私の中に不思議な感動が生じはじめた。
それは、こんなゴミフィルムを編集するのに、今村さんは、「にっぽん昆虫記」や「神々の深き欲望」と相対すると同じエネルギーをつぎ込んでいたからである。

私は今村さんの姿にアフリカのライオンを重ね合わせていた。
ライオンはネズミのような小動物を捕らえるときも、野牛を倒すのと同様に渾身の力を振り絞ると聞いていたからである。
あれから30数年の歳月が流れた。その間に、今村さんはゴミのようなCMを何本か頼まれて作り、また、カンヌのグランプリ受賞作品を2本も作った。

最近、老ライオンは机に向かい脚本の資料をゆったりと天眼鏡で眺めている。
昔のように咆哮することはなくなったが、ライオンとしての風格は微塵も揺るいでいない。

○ 写真説明/恐山をロケハン中の今村監督と筆者。

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