白鳥:みなさまにご紹介いたします。東京フィルメックス映画祭・プログラムディレクターの市山尚三さんです。この『悲しみのミルク』を日本で上映するために、大変お世話になりました。 市山:今日はご来場ありがとうございます。 白鳥:市山さんは、新百合ヶ丘にある川崎市アートセンターの映画・映像事業企画・作品選定委員もしていただいています。 市山:そうです。マリオ=バルガス・リョサはラテンアメリカ文学界の文豪のひとりですが、その人の姪にあたります。つまりおじさんが有名な小説家という家系です。一族にはもうひとり、それほど有名ではないですがルイス・リョサという映画監督がいます。ハリウッドでシルベスター・スタローンの『スペシャリスト』とか、『アナコンダ』という蛇が襲ってくる映画など、ジャングルのなかのアクションを得意とする監督で、この人もクラウディア・リョサ監督のおじさんです。バルガス・リョサという作家とルイス・リョサという映画監督が従兄弟同士で、クラウディア・リョサ監督はその二人の姪にあたるということです。クラウディア・リョサ監督の両親がどういう方かはわからないのですが、少なくとも親戚筋は、ある種の芸術一家で、かなり恵まれた環境に育ったということだと思います。 白鳥:クラウディア・リョサという監督は、この映画を作ったとき、ちょうどお腹に赤ちゃんがいたようですね。 市山:そうですね。去年(2009年)に出産されたらしく、東京フィルメックスには、来られなかったのですが…。実際この作品を撮ったのは、2008年です。2009年のベルリン国際映画祭が、この映画のワールド・プレミアです。僕もそこで観たのですが、2作目にして金熊賞(グランプリ)をとりました。 白鳥:本当にすごい監督さんですね。東京フィルメックス・ディレクターの林加奈子さんとも、「お腹に赤ちゃんがいて、すごい映画を作れる人だね」と感心しあっていたのですが、実に精神力の強い方です。 市山:ペルーのリマ大学で、コミュニケーションを学ばれたようです。まず映画と関係ない学部に行かれて、その後、スペインのマドリッドにある芸術大学に留学され、そこではじめて映画について学ばれたようです。 白鳥:ということは、ペルーの知識階級は、どうしてもヨーロッパに行ってしまうということでしょうか? 市山:そうですね。かなり政情が不安定な国でもあるので、芸術家として仕事をするのが難しいし、映画を作ろうと思っても、映画産業がないし、政府の補助が手厚いということもないので、ヨーロッパにいるほうが、お金集めができるようですね。インタビューなどによると、この映画の場合も8割がた、スペインの出資ということです。ペルーからお金を集めるというのは不可能ですから。そういう意味もあって、ラテンアメリカの映画人は、スペインに頼っている部分が多いと思います。 白鳥:さて、ご覧になったみなさまも感じられたと思いますが、感心したのは、カメラワークがしっかりしていて素晴らしいことです。 市山:そうですね。僕は残念ながら未見ですが、監督の経歴によると、デビュー作で、『マデイヌサ』という映画を2006年に撮っています。これは東京で開催された第3回ラテンアメリカ映画祭で上映されたので、ご覧になった方もいらっしゃると思いますが、キューバのハバナ映画祭の脚本コンクールに送った脚本が受賞し、それがきっかけで監督デビュー作の『マデイヌサ』を撮ることになったそうです。これが、サンダンス映画祭で上映されたり、ロッテルダム国際映画祭で国際批評家連盟賞をもらったりと、いきなり高く評価されて、この2作目の『悲しみのミルク』につながったようです。
白鳥:その後、この作品でベルリン国際映画祭の金熊賞をとったということなのですが、金熊賞をとった割に、日本ではどこも配給会社がつかなかったんですね。それがわたしにとっては、とてもショックでした。 市山:そうですね。川崎市アートセンターの会議でもいつも話題になるのですが、最近、いわゆるアート系の作品は公開するのが難しくなってきています。特にこの映画が上映された去年(2009年)は、いろんな素晴らしい映画が配給されないことが多く、日本の配給会社が後ろ向きになってきていると…。結局、買っても宣伝費がすごくかかる、それを単館ロードショーで公開しても、全然お金が返ってこない。いくつか倒産した配給会社もありましたね。そういった厳しい状況だったので、ベルリンで金熊賞をとっていれば、普通はその時点でいろんなところからオファーがあるはずですが、なかったようです。 白鳥:それが、とても不思議でしたね。配給会社がついていれば、わたしたちは、そこに電話をすれば映画祭で上映できるんですけれど、それをお願いする配給会社がないということに衝撃を受けました。そこで、この映画をみなさんに観ていただくには、自分たちの手で配給のルートにのせるしかないと思ったんです。今日、この雨のなかを来てくださったお客様には、本当に感謝したいと思います。 市山:クラウディア・リョサ監督がインタビューなどでその歌の話をされています。実際に風習があるかどうかまではわからないのですが、インディオの方たちは、実際にこの映画の冒頭で語られているように辛い歴史があって、ひどい仕打ちを受けています。辛いことがあるときにそれを歌にすることによって発散するというか、心のなかに秘めていることを、ただつぶやくだけでなく歌にすることによって、心を紛らわせているというような意図で主人公たちに歌わせているというお話でした。それがインディオの風習としてあるのか、監督が映画のために作ったのか、というのは聞いてみないとわからないですが。 白鳥:主人公の女優さんは実際に歌も歌える方だったと聞いていますが。 市山:そうです。僕はラテンアメリカの音楽には詳しくないのですが、主演のマガリ・ソリエルさんは、有名な歌手でもあり、クラウディア監督のデビュー作『マデイヌサ』でも主演されています。おそらくその時、映画は初主演だったのですが、この2作で評価されて、今ベルギーの監督の映画にも起用され、最近は俳優として活躍をされています。 白鳥:今の平和な日本に住んでいるわたしたちには、想像ができませんが、民族紛争というか、ゲリラの話がこの映画のバックグラウンドにあると思います。そのことについてお話ください。
市山:この映画のすごく素晴らしい点のひとつは、社会背景というか、ゲリラ戦の話が背景になっているけれど、それが一切画面には出てこないことです。画面に出てこないで、ただそれが現代の人たちに、どういう影響を及ぼすかということをじわじわ語っていく。これは素晴らしい方法ですし、逆に映像で見せるよりも恐ろしさを実感させる作りになっていると思います。 白鳥:わたしも、映画を観たときに、ペルーだけでなく世界中で、こういうことが起こっているということを、日本の人は知る必要があるのではないかと思いました。加えて映画としても非常に優れているし、主演の女優さんの演技も、監督も素晴らしい。ペルーの美しい風景を背景にこの物語が描かれているということを、どうしてもみなさんに知ってもらいたいという気持ちがありました。戦闘場面などを一切入れないで、非常に悲惨な状況を、冒頭からお母さんの歌に託したというところが、この監督の並々ならぬ才能を物語っています。
市山:悲惨な話ではあるけれどもこの映画には、希望がありますね。一番象徴的なのは、最後に芋から花が咲いているというシーンがありますし、結婚式のシーンがたくさん出てくる。その辺も、ゲリラ戦の話だけを延々とやってしまうと、いたたまれない気持ちになると思うのですが、結婚式のシーンが出てくることで、悲惨な過去を持つ人たちでも、こうやって未来に向かって、結婚して家庭を作る。それをみんなが祝いに来るということを見せているのは映画の作り方としてうまい。お客さんに悲惨な気持ちだけを与えるだけでなく、やはりこうやってみんな生きていくんだ、というところを与えているのがすごいところですね。 白鳥:本当にそうですね。主人公の恐乳病というか、一種の精神的病といったものを縦糸にして、結婚式が2度出てきますよね。どうして2度出てくるのかと思っていたら、最初のほうは彼女のおじさんの商売で、そして、お母さんのお葬式をどうしても村であげたいということが横糸になっていた。非常に精巧な織物を見るような組み立て方で、うまいなと思いましたが、脚本も監督自身で書かれたのでしょうか。 市山:そうですね、特に共同脚本家もいませんし、自分で書かれたようです。作家の姪ということもあるでしょうね。本人も、インタビューなどで「自分が監督できるとは、思っていなかった、でも書くほうは自信があった」と言っています。最初から自分が全部監督できるかはわからないけれど、脚本は書いてみたかった、ということのようでしたから、書くのは自信があったんでしょうね。 白鳥:たまたま本人の才能と、ラッキーなことが重なって、世界のひのき舞台でこの映画は陽の目をみることができたわけですが、貧しいといわれる中南米諸国の映画事情といったものをお話いただけますか?
市山:そんなに詳しいわけではないのですが、興味があっていろいろ観ています。ここ最近はすごくおもしろいです。それはなぜかというと、ひとつにはアルゼンチンなどでは映画産業があって、それらの国では最近の経済的な興隆もあり、お金が出るようになって、おもしろい映画も出てきています。 白鳥:普段わたしたちは映画というと、こういう大きな劇場(シネコンなど)でアメリカのハリウッド映画などを観ることしかできないのですが、線路の向こうのアートセンターでは、できるだけいろんな国の映画を掘り起こしてみなさまにお見せしたいと思っています。 市山:マガリ・ソリエルさんがやっている主人公の役は、インディオの役で、映画で彼女が住んだり、結婚式をしたりしているところは、マンチャイというところで、NGOなどがサポートに行くような、すごく貧しい地域です。撮影の現場は、まさに山中のゲリラ戦から逃れてきたインディオの方たちが住み着いてできたところで、ペルーのある種の社会問題を象徴しているような場所です。そこをロケ地に選んで、しかも白人系の富裕層と対比するというのは、監督としてはかなり意図的にそういう設定を作っているんでしょうね。そのあたりも実際の事情を知らないで想像するだけですが、相当な格差があるんでしょうね。 白鳥:実は、この映画を観て思い出したことがあるのですが、ずいぶん昔に、ブラジルのリオデジャネイロにロケに行ったときに、泊まったホテルは海側だったけれど、「絶対に山のほうに行っちゃいけない」と厳しく言われました。山の上は一番景色が良いのですが、そこに貧民街があって犯罪が絶えないと。共通点を感じたのですが、貧民街は景色の良い、上へ上へとあがっていくのでしょうか? 市山:そうですね。ペルーの状況はあまりわからないのですが、映画では山のすごく険しいところに、階段ができていて、そこを昇り降りするシーンが出てきます。貧しい人たちはそういう場所に追いやられて、住みやすい場所には、富裕層が住むのかもしれませんね。
白鳥:もっともっとお話をしたいのですが、時間も迫っていますので、最後に、11月に開催の今年の東京フィルメックス映画祭※1について、ご紹介していただけますか? 市山:今年で11回目ですが、11月20日〜28日まで、有楽町マリオンにある朝日ホールとその周辺のいくつかの劇場で開催します。白鳥さんには、今年のフィルメックスのコンペティションの審査員をお願いしています。10本くらいの映画を観て審査をしていただくのですが、アクションからドラマまでいろんな映画がありますので、審査員の方々も困るんじゃないかと思っています。白鳥さんよろしくお願いします。 白鳥:セレクトは本当に素晴らしいですよね。どれを観ても損はしない。わたしは東京国際に行かないでほとんどフィルメックスに通いつめております。 市山:『息もできない』という韓国の映画が2009年の東京フィルメックスのグランプリで、その後の劇場公開でもかなりヒットし、アートセンターでも上映しました。ユーロスペースですこし前まで上映していたイランの作品『ペルシャ猫を誰も知らない』、というイランの作品は昨年の審査員特別賞という準グランプリでした。これもどこかで観ていただければと思います。そういったアジアの若手の監督をコンペティションでやりつつ、アジアの有名監督、今年は、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の『ブンミおじさんの森』という、カンヌ映画祭でグランプリをとった作品をオープニングで上映します。 白鳥:それでは、みなさんのご質問も受けたいのですが、もう終わるようにサインが出ていますので、すみません。『悲しみのミルク』は、来年アートセンターで上映されますので、ぜひご覧になってください。また、こんなに素晴らしい映画を、しんゆりだけで独占するのはあまりにももったいないので、シネマ・シンジゲートというネットワークを通じて、日本中の良心的な映画館で上映されます。※2 お友達やご親戚の方にもぜひ薦めていただければと思います。 (※2:『悲しみのミルク』はアートセンター上映支援事業として、配給されることになりました。権利料などの一部上映経費をアートセンターとKAWASAKIしんゆり映画祭が提供し、権利と上映素材の手配をコミュニティシネマセンターが協力、東風が配給会社として参加することになり、趣旨に賛同した日本スカイウェイも出資に参加し、2011年4月2日よりユーロスペース、4月23日よりアートセンターで公開後、配給協力のコミュニティシネマセンターを通じて、シネマ・シンジゲート加盟館を中心とした全国のミニシアターで公開されます。)
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