永遠の人 | |||
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データ |
あらすじ |
おすすめレビュー |
生きていくのに、善き者であることは難しい。登場人物はみな、どこかにドロドロとした感情を持っている。
誰しもが持つ、心のブラックホールエネルギー。
この映画をみて、それが業ってやつで、その深さは底なしで、その舵取りはやっぱり難しいのねと、再認識。
次に裏切られるのが、音楽である。
監督の弟である音楽担当の木下忠司(水戸黄門の音楽で有名)は、フラメンコギターをかき鳴らし、熊本弁でト書きを歌わせてしまうのだ。
「それがですなぁ〜、それがですなぁ〜♪」というリズムにあっけにとられながらも、後半にはあおりまくるフラメンコギターに、大地に轟く力強い情感を感じてしまう。
ドロドロの愛憎劇は、平兵衛とさだ子の不仲な夫婦生活を軸に、隆、隆の妻、子供たちまで続く不吉な縁を描き切る。
<以下ネタバレあり>
絵に描いたような暴力夫の平兵衛(仲代達矢)の、ギロギロした眼はいつもの三割増で、見つめられるだけで、身が固まってしまいそう。
だが、言葉の端々にいちいち憎しみを込めるさだ子(高峰秀子)も負けてはいない。
隆の前ではデコちゃん(高峰秀子)スマイルをみせ、野菊のような健気さを匂わせつつも、平兵衛の前では怨み節全開だ。
昔の恋人・隆は結局、さだ子と村を逃げ出さず、ひとり身を隠したのに村に帰ってくる。
隆の妻(乙羽信子)ももちろん、地黒な見た目からして、太鼓判を押したいほどの意地悪婦人。
憎しみの連鎖にとりつかれて生きる平兵衛とさだ子。
時代が悪いとか、社会が悪いとか、そんな声高なことは一切語られず、罵声の飛び交う日々が続いてく。
揚げ句に、長男(田村正和)は、阿蘇山の火口に身投げしてしまうし、次男は政治犯で逃亡してしまう。
子供が、毎日こんな陰湿な大人しか目にしなかったら、希望がなくなってしまうのも当然だ。
しかし不思議なことに、こんなにも各々のどうしようもない部分を三十年分も見せつけられると、徐々に愛らしさを感じてしまうのだ。色々な側面があってこそ愛嬌だし、それが人間らしさとも言える。
ラストで、隆の死を前に走り出すさだ子と平兵衛。どうしようもない部分を見せつけあい、傷つけあってきた二人だが、許しあうことで憎しみの連鎖から一歩踏み出せる、という救いがそこにはあった。
激情の闇から人間を描き切った作品である。
(こあかね)