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Part9(2002年3月1日〜5日)
再現シーン・冬編
2002年3月1日(金)
撮影2日目。
今日の撮影項目は、ツルハシを背負って隣村まで仕事にでかけた男たち、という設定のシーンとツルハシを背負って鍛冶屋へ行った女たち、という設定の計2シーンである。どちらも中山峠近くの撮影ポイントのため下見の時のように村から雪上車の出動のご協力を頂いた。再現シーンの出演は村の方々である。

<ツルハシを背負って峠を登るというシーンについて>
中山トンネルの掘削は戦後、隣村の広神村側からも行われた。小松倉の青年たちは、まだトンネルが開いていないため仕事場へ行くために毎日、峠を往復した。冬の厳しい寒さと積雪の中、黙々と現場へ向かう村人たちの姿を当時の衣装と道具で再現する。

<ツルハシを背負って鍛冶屋へ行った女たち>
掘削はもちろん男の仕事だったが女たちは何もしなかったかといえばそんなことはない。掘って先の減ったツルハシを持って冬の山道を歩き、鍛冶屋まで持っていくという仕事をやったという。ツルハシを縄で縛って背中に背負い、カチンカチンと音をさせながら山道を歩いた女たち。肩にツルハシの重みがズシリと重かったはずである。


撮影はほぼ順調に進んだ。村の出演者の方々もこちらの注文に嫌な顔もせず、応えてくれる。急な斜面を登るというカットも無事撮り終える。女たちの背負うツルハシが背中で立てるカチンカチンという音も良かった。

夕方、撮影終了。みなで神湯へ行き、冷え切った体を暖めることにした・・・。

明日はトロッコシーン。雪が降るといいなあ。(監督 橋本信一)

2002年3月2日(土)
今日はトロッコシーン。雪の中を土砂を満載したトロッコが坑口から出てくるというシーンだ。夏に坑口の中を進むシーンを撮ってあるのでそれにつながるカットとして撮るのである。本当は雪の降る中をトロッコが進むというネライだがなぜか今日は快晴。仕方ないのでせめて曇りになるまで待つことにする。

が、無情にも太陽は隠れてくれない。晴れ待ち、というのはよく経験したが曇りまちというのはあまり経験がない。1時間、2時間、3時間・・・・・。待てども待てども太陽は隠れてくれない。どころか、益々勢いを増すかのようだ。

ドラマのスタッフの気持ちがよくわかる。ドキュメンタリーにおいては天気はそのままその時の状況として気にせず伝えられるがこういうシチュエーションではそうもいかない。役者として参加してくれた村の方々にも申し訳ないがこればかりはどうしようもない。おまけに今日は朝日新聞の記者の方も映画の撮影を取材に来てくれている。

みなでただひらすら待つ。自由に天気を変えられる機械を開発したら、売れるだろうなあと誰かがつぶやく。まったくその通りだ。考えてみればこれだけ文明が発達しても天気だけは太古の昔から人間の力の及ばない聖域なのであり、どうしようもできない世界なのだと改めて思う。

夕方になってチラチラ小雪が舞いはじめた。あわてて現場に向かう。日没までの残り時間を考えるとトロッコの撮影は無理なので「焼いたツルハシを雪で急冷する」というシーンを撮ることにする。

これはツルハシの先端部を火で熱し、四角いさいの目にして小屋の外の雪で急冷する、という作業の再現である。合計3カット。無事撮り終える。

トロッコのシーンは残ってしまったが仕方ない。どこか別の日に撮るしかないだろう。
明日は早朝6時集合。雪が降ったら峠越えシーンだ。(監督 橋本信一)

2002年3月3日(日)
前夜からの雪に気合いを入れて早朝からの撮影。しかし、晴れ間が見え始め・・・・やがて、雪がやみ・・・・。ワンカット撮り終えてからは待ち。待ち、待ち、待ち・・・・。ごはん、待ち・・・・え!終了。

結局、この日はAM6:00からの撮影で1カット。
人生で初めてクランクインした後に、撮影したい!と思った貴重な日でした。(美術パートにおいては準備はいくらあっても足りないのでいつまでも準備したいという気持ちが抜けないのだ)
(美術 山形哲也)

2002年3月4日(月)
今日は5時半集合。天気予報は無常にも晴れ。が、このまま天気だけを待っていても撮りたい画は撮れない。(といっても曇りか雪を待っているのだが・・・)早朝のチャンスを狙ってアップのカットをとりあえず撮ることにする。トロッコの走る車輪のアップとトロッコ上の土砂(ベト)と押す手元のアップ。トロ押しの役の二人も早朝にも関わらず出てきてくれた。感謝。小川勝司さんと西原貴明さんである。村会議員の田中仁さんも連日応援に駆けつけてくれた。本当にありがたい。

2カット撮ったところで時間切れ。太陽が出始め、人物の影がでてしまうのだ。画がつながらないのでやむなく諦める。

その後は、仕方ないので各種打ち合わせ、準備、連絡等の時間にあてた。小松倉の小川庫二さんに誘われ、お宅に伺ってみると餅が用意してあった。食べていけという。遠慮なく皆で上がりこみ、ごちそうになることにした。

うまかった!そのうまさは半端ではない。撮影のスケジュールのごちゃごちゃも忘れる至福のひと時であった。庫二さん、奥さん、本当にごちそうさまでした。

明日は予報では晴れだがもし曇ってくれたら金倉山からの遠景を撮りに行こうと思う。それと母の出迎えシーンの追加カット。残り少ない期日の中で果たして予定のカットを無事消化することが出来るのか?撮影隊の綱渡りの日々は果てなく続くのであった・・・・。(監督 橋本信一)

2002年3月5日(火)
朝、役場へ行く。今後のスケジュールの変更を伝えるためだ。ここ数日の天候で大きく動いてしまったスケジュール。残りすくない撮影日数でなんとか無事撮りおえたい。役場の五十嵐豊氏、小川喜太郎氏と真剣に打ち合わせる。

打ち合わせ後、喜太郎さんに無理を言って金倉山からの遠景の撮影に出かけた。ここでも村の除雪車のお世話になる。冬のさなか、金倉山の頂上なぞに行きたいとのたまう輩は我々ぐらいだろう。雪上車はぐんぐん雪道を進んでいく。途中からは雪上車も行けないので徒歩だ。

普通に歩いたら距離があるので喜太郎さんの提案でショートカットすることにする。ショートカット=みなさんわかりますね。そう!斜面を攀じ登るのです。登山が趣味の喜太郎さんは雪の斜面をおそろしいスピードであがっていく。さすが山の男だ。鍛え方が違う。我々はといえば機材を担いでるということもあるがやはり遅い。ハアハア、息が上がりながらもなんとか頂上の展望台にたどりつく。

そこからの眺め・・・。絶景である。向こうには八海山などの高い峰峰を望み、こちら側には信濃川と長岡、小千谷などを望む。眼前には山古志などのかつての二十村郷が見えている。何パターンもの画を撮影したのち、来た道をトコトコ下りた。村の協力がなければこうした画も撮れなかった。山古志村の方々に深く深く御礼申し上げたい。

金倉山の後は、母の出迎えシーンの追加カットを撮る。提灯を下げてトンネル仕事の息子の帰りを待つ母のフルショットだ。蓑を着て提灯を持つ姿がとてもいい。今日も物音ひとつしない静寂の中で撮影した。小松倉区長の奥さん、今日もどうもありがとうございました。

夜、広神村の神湯温泉で久々に湯につかる。
あったまる・・・。風呂場から見える雪を眺めながら明日からの撮影のことをボーッと考えた。
本当に雪は降るのかなあ・・・・・。(監督 橋本信一)


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