今村昌平監督の最新作「おとなしい日本人」 が完成

 

6月10日、今村昌平監督の超短編映画「11・09・01 おとなしい日本人」 が完成、東宝録音スタジオにて試写会が行われました。 この映画は昨年9月11日ニューヨークで起きた同時多発テロ事件をテーマに、世界を代表する11人の監督が11分9秒の短編映画を競作するプロジェクトです。フランスの映画会社ジャックエス社によれば、人類の平和や民族、寛容を基本テーマとするものだが、作品の内容は各監督に一任されるということです。

カンヌ映画祭で発表された監督は、 今村昌平(日本)、 クロード・ルルーシュ(フランス)、 ケン・ローチ(イギリス)、 ショーン・ペン(アメリカ)、 サミラ・マフマルバフ(イラン)、アモス・ギタイ(イスラエル)氏らの11人。 11作品は完成後に一本にまとめられ、 事件1周年の2002年9月11日に発表されるそうです。

今村作品の脚本は、「うなぎ」 「赤い橋の下のぬるい水」 を担当した天願大介。
出演は田口トモロヲ、麻生久美子、柄本明、倍賞美津子、 緒形拳、 丹波哲郎、 市原悦子、 役所広司など、カンヌグランプリ俳優や個性派俳優が並ぶ豪華なキャスティングです。
撮影は5月10日にクランクイン、 栃木県の烏山町の藁葺きの農家を中心に行われました。



物語
終戦間近の北関東の山村。中国戦線から負傷して帰ってきた勇吉を迎えた家族の者は仰天した。勇吉は親兄弟はおろか若い女房とも口を利かず、土間の一隅に置かれた丸太組の檻に入り込み出てこないのだ。時折、人が近付くと長い舌をペロペロ出しシュッシュッと
威嚇する・・・・勇吉は蛇になってしまったのだ。
お国のために戦ってきた勇者がどうして蛇などに・・・?
老いた両親は嘆き悲しみ、呆れ果てた若女房は肉体を持て余し寺の住職と関係を持つ。しかし、そうした人間界のことは勇吉にはどうでも良かった。彼は暗い土間や深い茂みの中を身をくねらして気持ち良さそうに這い廻っていた。
もう2度と戦場には戻りたくない。殺し合う人間より蛇の方が幸せだ。
しかし、そうした勇吉の願いは、ひょんなことから崩れさる・・・・・。

 

<東宝撮影所録音スタジオに於いて>

今村監督が日活出身のためか今村組のダビングはほとんど日活撮影所で行われてきた。
「楢山節考」は東映作品だったが、仕上げはやはり日活撮影所だった。
東宝撮影所でのダビングは、今村監督にとっても初体験である。
この日、朝方から始まったミキシング作業は紅谷技師が予告したとおり12時前に無事終了した。この瞬間、短編映画史に残る、重厚で感動的な今村映画が誕生した。


武重「お疲れさまです、素晴らしい出来ですね」

今村「ああ、有り難う。何か呆気ない感じだったけどね(笑)」

紅谷「分量にすれば普段の12分の1だからね。監督は物足りんのですわ(笑)」

今村「ははは、いつもはダビングも力仕事だからね(笑)」

武重「でも、短くても凄い質量が在る。田口トモロヲが追われて薮を逃げて行くところ、涙が出て困りました」

紅谷「今村映画らしい場面だからね、あそこは」

今村「田口くん、蛇になりきっていたからね(笑)」

武重「でも、凄い俳優さんですね。土間の処の表情なんか本当に蛇の顔してた(笑)」

今村「(頷き)若いけど面白い俳優さんだね。いろいろの蛇を見て勉強したらしい(笑)」

武重「緒形拳、役所広司、倍賞美津子、丹波哲郎、市原悦子、柄本明、麻生久美子・・凄いラインアップだけど、みんな2行くらいのセリフしかない。勿体ないですね」

紅谷「役所さんなんかセリフ無しやからね。こんなの考えられんよ(笑)」

今村「お茶を運んでくる村人にセリフは要らないんだ(笑)。でも、役者というものは不思議だね。数十秒のカットでも、 その中で自分を出そうと努力するんだ」

武重「丹波さんは『豚と軍艦』以来ですね」

今村「40年ぶりかな。豚軍の"人切り鉄次"は格好良かったからね」

武重「昔は人殺し、今度はスケベ坊主ですね(笑)」 

今村「霊界の人だからね(笑)。でも、幾つになっても格好いい人だね」

紅谷「なんとゆうても、残念だったのは清川(故清川虹子)さんだわなあ」

武重「衣装合わせまで済ましたと聞きましたが・・」

今村「・・・」

今村夫人「清川さん、病院から電話して来て『先生、わたし必ず出る(出演)からね!』って言って下さって、とても楽しみになさってたんですよ」

今村「清川さんは根っからの女優。最後まで女優を貫いた人だったね・・」
※今村作品『復讐するは我にあり』で清川虹子が演じた老婆は、日本映画史上に残る名演技と評価された。

武重 「今回のカメラ、岡雅一君ですか・・良いですね」

今村 「難しい撮影だったが、頑張ってくれたね」

武重「最初の土間の場面、広角でギリギリだけど、どっしり落ち着いた画面になってる。切り返して勇吉の顔が見えてくるところも素晴らしいと思いました」

今村「あそこは芝居が入って来るから、ポジションも決めも難しい」

武重 「それから、家を追われて路地を這いながら薮に消えて行くところ。 あの俯瞰の角度は絶妙でしたね。 田口さんの這って行く背中に悲しみが感じられて・・」

今村「何度もやって、あそこに決まったんだけど。良かったかね(笑)」

武重「岡君は『地雷を踏んだらサヨウナラ』を撮ったカメラマンだと聞きました。横浜※の卒業生ですよね」        ※横浜放送映画専門学院(日本映画学校の前身)

今村「今度のスタッフは3分の1が映画学校の卒業生なんだ。26年経って、やっと一緒に仕事が出来るようになった。感無量というか、嬉しいね」 

武重「そうゆう意味では、今村組もどんどん変わっていく」

今村「残っているのは、紅やんだけだね(笑)」

紅谷「すみません・・まだ、鼻ったれなので(笑)」
 


武重「最後に、今回の短編映画の制作についてですが・・」

今村「僕は何時も長いものばかり撮ってるからね。まあ、難しいというか大変だったね。しかし、撮影しながら、どうやって密度を上げて行くかを工夫して行くんだな。そうすると逆に短編でしか表現出来ないモノも在ることに気づくんだね。 これがとても面白い。製作費も安いし、短編も良いなという気持ちになったよ(笑)」

武重 「製作費も掛からないから実現し易い。もう1本やりますか(笑)」

今村 「いや、3本くらいやりたいね。短編は実に良いもんだよ(笑)」

武重「本当に期待してますからね(笑)。どうも、お疲れさまでした」


今村監督には長編重厚のイメージが強いが、実は短編でも凄い傑作を2本作っている。1本は「遠くへ行きたい」という番組で作った『俺の下北』という24分のドキュメンタリー。もう1本は1975年に制作した『あほう』という13分の16mm劇映画である。『あほう』は、横浜放送映画専門学院の実習制作の指導監督を担当したときのものなので学生作品とされているが、実際は、今村さんと故栃沢正夫カメラマンが学生スタッフを率いて作った短編映画の大傑作である。

さて、今村さんも今年で76歳になった。これからは、間口の広い大型作品より、小ぶりだが岩盤まで掘り下げた珠玉の作品を作って欲しいと僕は願っている。
「おとなしい日本人」や「あほう」を作れるのは、世界でも今村監督しかいないのだから・・・。

取材・インタビュー:武重邦夫(映画祭顧問)