座談会 「名画座へ行こう」 98年10月10日(祝)18:35〜

ゲスト:小野善太郎(大井武蔵野館支配人)片貝知恵(早稲田松竹支配人)ターザン山本(元週刊プロレス編集長)
司 会:箕輪克彦(市民プロデュサー)
 


・町から消え行く共有する“場”
・自分の傑作を見つける“場”(大井武蔵野館)
・実はこの監督さんはこういう映画も撮っている…、と知ってもらいたい(早稲田松竹)
・日本映画の居場所
・外国の人の評価を経由して、やっと自分達の映画に自信が持てる
・アンチ並木座「お客さんの方も大井武蔵野館に求めているものは、並木座に求めているものとは違う」
・年に1回決まった映画を上映 採算面でやはり苦しい
・映画館で映画を観ることはマゾ的な行為(小野)
・名画座と共に失われるもの
・世代を越えた文化交流を生み出す“場”
・世の中に映画があふれているようでも出会わなければ何にもならない
・「古い日本映画に出会うシステムが崩壊してしまったのではないか」(小野)
・名画座へ行こう!
・100本の中から10本の傑作を探せ!


箕輪:今日は現在名画座を経営されている方々に今後の名画座の展望のようなものをいろいろ伺ってみようと思います。名画座がなくなってしまうと、一番大きな問題は、やはり昔の映画が見れないということだと思うんですよね。(そういう意味で)文化的に日本は危ない状況じゃないかと僕個人は思っているんですけど、そのあたりを実際経営されている方々に伺いたいということと、ジャーナリストの立場から、ターザン山本さんにもその辺をどういう風に思われているか、いろいろご意見を承りたいと思っています。

小野善太郎さんにお伺いします。どのような経緯で大井武蔵野館の支配人というポジションに就かれたのですか?

 
小野:大井武蔵野館は、今ある映画館が1981年にオープンして今に至っているわけですけど、丁度その年に私も今の会社に入りました。当時はかなり名画座の数もあったのですが、名画座の仕事がしたくて入ったんですね。ちょうど大井武蔵野館がオープンするというので、そちらだと思ったら、最初は新宿武蔵野館という洋画の封切りの方に行きまして、そこで5年位やった後、大井武蔵野館の方に移りまして、以降、今に至るまでやらせていただいているわけです。

 
箕輪:どうもありがとうございます。

片貝知恵さんは早稲田松竹の支配人代行を務めていらしゃいます。今のポジションにいたるまでの経緯をちょっと教えていただきたいのですが。

 
片貝:映画館に勤めてまだ3年程なんですが、当早稲田松竹は名画座になりましたのが昭和50年代。(当初は)邦画と洋画の特選映画上映という形をとっておりまして、その後平成5年に改修を行いました。客席数は減ってしまったのですが、きれいになって、そこからは洋画専門の2本立て名画座となりました。その後2年後に私がアルバイトのスタッフとして入社いたしまして、本年(1998年)の6月に支配人代行の職務に就きまして、今に至っております。

 
箕輪:どうもありがとうございました。

今おっしゃられたように、早稲田松竹さんの方は洋画の2本立て大井さんの方は邦画専門ですよねだいたい旧作の邦画を中心にまあいらしゃったことのある方はご存じでしょうが。今、名画座とか2番館とか言われる劇場は、都内10軒程しかありませんが、そのなかでも非常にユニークな番組作りをする名画座だと、僕は思っているんですけど、今日は経営者の立場での、これからの名画座の展望をいろいろ伺ってみようと思います。

こちらが元週刊プロレス編集長のターザン山本さんです。山本さんは、お仕事はライターですよね。でも映画館の方でも働いていたことがおありとか。 
 

山本:昭和48年の5月から52年の2月まで、最初の2年は映写技師をやっていました。一番最初に上映したのが『ラストタンゴ・イン・パリ』、5週間上映しました。正月映画としては『モン・パリ』という映画と『マイ・ウェイ』と最後は『カサンドラ・クロス』という形で映画館で勤めていたんですよ。それは大阪です。大阪のロードショウ劇場の千日前にある、東宝系の映画館でした。

 
箕輪:ありがとうございます。

そのように山本さんも大変映画館には思い入れの深い人なんで、第3者的なちょっと引いた立場から、名画座の今の現状について意見していただければ…。

 



町から消え行く共有する“場

 
山本:私、葛飾区奥戸というところに住んでいるんですけど、その町に住んでいたら、町からね、これは日本全国共通していることなんですけどね、3つのものが失われていってるんですよ。それは映画館銭湯本屋がなくなっている。で、そこに何が建つかというと、マンションとコンビニが建つんですよね。要するに銭湯は裸を共有するじゃないですか、映画館というのはスクリーンを共有する、フィクションを共有する、本屋というのは、本屋の親爺と文化を共有する。町の文化の3つが消えてなくなりつつあるんですよ。もう絶滅する日本の文化のようなものですね。で、これはどういうことかというと、コンビニなんかが増えると我々の生活自体がデジタル化していく。映画が好きだということは非常にアナログ的、生活空間を保っていくという良さがあるんだけれども、それがなくなるということはすごく淋しいことだなと。自分達の生活空間の中で、この3つの失われるものの中の1つに映画があると、僕はそういう風に最初考えたいんですね。

 
箕輪:あのー、私事なんですけど、私一応コンビニ経営してるんですけど。

 
山本:デジタルじゃないですか。(笑)

 
箕輪:いやいや。だからデジタルで、そうなんです、だけどやっぱりね。

 
山本:便利で何でもあって、効率的。

 
箕輪:ですからこのような形でアナログの方に走っているわけですよ。生活はデジタル、趣味はアナログということなんですけど。
 

山本:僕も週刊プロレスやってたときは、商売として雑誌を売ることはデジタル、でも自分の人生はアナログという形の使い分けしてましたよ。その方が非常に、何ていうかな、贅沢な人生になるんですよね。だけどアナログというものを皆さんに忘れてほしくない。

 



自分の傑作を見つける“場”(大井武蔵野館)

 
箕輪:名画座っていうのは決して儲かる商売じゃないんで、やっぱ好きでないとやれない商売だと思うんですよね。皆さんプログラムの中に最近の大井町武蔵野館のチラシがはいっているので、番組見てもらえば分かると思うんですけど、非常に短期間にものすごい本数の旧名作を、こう名作珍作いろいろ折り混ぜて、上映されてるんですけど、すごいご苦労があると思うんです。

 
小野:ええまあ、よく好きじゃないと出来ないけれど、好きなだけでは商売面というのもあるので出来ないと言われてますけど、ただ機械的というか仕事としてやるだけではやり切れないのかなと。もちろん好きなだけでは出来ないと思いますけども、好きであるということは絶対必要だと思います。このチラシをご覧いただいて、うちの映画館のことをご存じかどうかわからないんですけど、銀座の並木座さんというこれは皆さんもよくご存じの老舗の名画座で、小津安次郎とか黒沢明監督特集で有名だったんですけど、先月ですか、閉館いたしまして。距離的には銀座から大井町は電車では15分とかの距離ではあるんですが、いわゆる精神的距離はもっと遥かに遠いような場所ではあったんです。向こうが博物館的ないわゆる名作を選びに選んで上映するので、うちは逆に並木座ではまず取り上げないような、けれども観てみるといわゆる評論家とかが評価した傑作とは“違う”面白さをお客さんがむしろ発見できるような場として捉えまして、どちらかというと選ばないというんですかね(笑)、量を追求するという、まあ年間今でも300本弱くらいかけてると思うんですけど。そういう中から、お客さんが自分の傑作を見つけ出して、まあ、共に見つけましょうというようなスタンスでやってます。

 

実はこの監督さんはこういう映画も撮っている…、と知ってもらいたい(早稲田松竹)

 
箕輪:早稲田松竹さんはどのような経営スタンスですか?

 
片貝:そうですね近ごろですと、新しく封切られたものがロードショウが終った時点でこれなんかがいいんじゃないかとまず1本スタッフで決めるんです。2本立てが基本ですので、そこから特集として、まず監督特集でカサベテスだとしたら、「シーズソーラブリー」がニク・カサベテス。息子の作品なんですけど、これだったら脚本がお父さんで、お父さんの昔の作品を、まあ知ってもらいたいと考えて組んだり。その元になる1本ともう1本は、実はこの俳優さんはこういう演技も出来る、この監督さんはこういう映画も撮っている、という風なことを知ってもらいたい、観てもらいたいというようなことを考えて、スタッフの中で討論してだいたい上映作品を決めているんです。スタッフ自体が若いので、あまり意識はしてないんですけどどちらかというと若い人向けのセレクションになってしまっているかもしれません。


日本映画の居場所
 

山本:小野さんにお聞きしたいんですけど。名画座というのは、日本全国でほぼ絶滅状態ですよね。

 
小野:そうだと思います。

 
山本:その場合に映画界とか、興行会社は、映画というものが1つの文化遺産であるとか、貴重な財産である、とかいう発想に対しては“まったく無頓着”というか“無関心”なんですか?

 
小野:それはちょっと誤解じゃないかなという気がしてるんですね。確かに上映される場はそれほどないんですけど、例えば日本映画に限って言えば、各映画会社でいろいろ差はあるんですがかなりの作品は残っております。残っていない作品を指摘していくとかなりの数にはなってしまうんですけど、どちらかというと意外に残っていまして、ただその残っている状態は必ずしもよくなかったりするんで、なんていうんでしょうかね、完璧な形ではないんです。うちあたり、正直言って映画会社さんの利益的には、映画会社に払う料金とかはほとんど影響ない、関係ないんですけど。だからと言ってそういうことを止めるようにするとか、日本映画に限っては今の所ございませんので、むしろ映画会社さんも言ってみればサービスのように考えていただいて、うちも何とかやっていけるような料金で貸していただける、という状況です。

 
山本:僕が週刊プロレスをやっている時は、プロレスファンを増やす為にいろいろな運動を起こしたわけですけど、僕が映画の関係者だったらやっぱり名画座みたいなものを、大手の映画会社がそういう運動を起こして、保護するわけじゃないけど、援助して、積極的に古い映画も素晴らしいんだという、そういうムード作りをすることでファンを新しく掘り起こしたりだとか、また再生するとか、そういことができると思うんですけど。そういうことをしないで、孤立した形でやってるという状況を、映画ファンとしては、すごく淋しすぎるという風に思うんですけど。どうでしょう、片貝さん、小野さん。

 
片貝:そうですね。むずかしいですね。

 
小野:本当だったらですね、各映画会社が自分のところに1件ずつぐらいはですね、映画会社経営の映画館として、自社の歴史がどこもありますから、自社の映画館で作品)をかけるということは、その時の利益、金銭的には大したことないと思うんですけどね。ですけど、文化を引き継いでいくということでは必要じゃないかと思うこともあるんですが。まあそういうところは現実にはないでしょうか。

 
山本:あの、追加ながら、今村昌平さんがNHKテレビ出てたら、要するに「映画は美術、絵画とか彫刻に比べて、日本という国は文化遺産として考えてない」という悲しい発言をされていたんですよね。ああいう形の言葉を聞くとなんか淋しいなという気がしますよね。

 
小野:確かに、積極的にはやっていないですね。
 
 

外国の人の評価を経由して、やっと自分達の映画に自信が持てる

 
山本:だから結局彼ら(日本の映画監督)は海外の映画祭で賞を取ることによってしか、存在意義を日本の人達に知らしめないという、非常にアンバランスな悪い状況だと思うんですよね。

 
小野:確かに日本人はなかなか日本映画を観ないような、日本映画に入門されるには、洋画の方からまず観て、それからやがて小津、黒沢あたりから入って、さらにうちで上映するようなちょっとディープな世界といいましょうかね、そちらに入ってくるというコースだとは思います。そういう時にどうしても、何と言いましょうか、同じ日本人が日本の映画を評価する時も、外国の人の評価を経由してやっと自分達の映画に自信が持てるっていうんですかね、そういう感覚があるような気がしますけど。

 



 

アンチ並木座
「お客さんの方も大井武蔵野館に求めているものは、並木座に求めているものとは違う」

 
山本:じゃあ小野さんのところは今の上映方式というのは、非常にコアでマニアックな、ものすごく極端なマニアの人のニーズに答えるような番組作りをされているわけですか。

 
小野:さっきちょっと申し上げた並木座さんがある時はですね、並木座さんでかけるのが代表的な日本の作品ですから、ある程度アンチ並木座といいましょうか、そういうスタンスでやっていたんですけど。これ大井武蔵野館のチラシをご覧いただくと分かるように並木座がなくなってしまったらやはり小津、黒沢も他でそんな簡単に観れない状況ですので、うちも日本映画に関してほとんど単独になってしまったんで、これからは名作もやらざるを得ないというか。

 
山本:名作。(笑)

     
小野:名作もやるし、なおかつ今までの路線もやりたいということで、ちょうど今回のチラシが右左で(笑)、ちょうどピンからキリまでのようなラインナップになってると思うんですけど。

 
山本:すごい極端ですよね(笑)。右と左が。

 
 {チラシ}
 

小野:まああの、やはり大井町というのがかなり東京のなかでもローカルな場所なんで、よりディープなものをやらないと、なかなかお客さまに注目していただけないという形ですね。
 

山本:左のほうは全日本カルト人名辞典(笑)。すごい、このラインナップがすごいですね。で、右のほうは小津安次郎監督特集という。

 
箕輪:小津さんの映画が明日から。おそらく大井の銀幕を飾るのは初めてではないでしょうかね。

 
小野:いや、かつて上映したことはあるんですけどね。並木座さんがある時はですね、やってみても、普通の例えばこの左側のですね、『恐怖奇形人間』とか、そういうものより、天下の小津安次郎の映画の方がお客さん来ないんですよね。やはりお客さんの方も大井武蔵野館に求めているものは、並木座さんに求めているものとは違うということがあったんだと思いますので、よりそっちの深い世界は、展開してたんですけどね。

でも今回やる小津さんの中でも並木座さんがやっているのはこの最初の4本と終わりの方の4本がメインプログラムだったと思うんですけど、大井町で取り上げるからにはサイレント時代の映画とかですね、並木座さんではあまりかからなかったような作品をかなり取りこんで、さっきもちょっと申し上げましたけれどなるべく量を追求したいという、質的にどう受け取ろうとお客さんの自由というようなですね、それがまあ楽しいんじゃないのかと思いますので。こちらとしてはなるたけたくさんの作品を、とは思いました。
 

山本:この全日本人名辞典を総括すると、今、どんなあれですか?営業的にも、ソフト的にも。

 
小野:これはあの、うちのことご存じの方はよくお分かりだと思うんですけど、あのさっきも申し上げました『恐怖奇形人間』という作品がありまして、これ石井てるおさんという今年『ねじ式』という新作をエネルギッシュに取られた方ですけど、この方の作品は、さっきも言いましたけど日本映画というのはなかなか、特に若い人ほど観づらいと言いますか、なかなか観ないと思うんですよね。特に女性の方とか。うちの場合、ほとんどの場合9対1くらいで男性の方が中心で、女性の方が非常に少ないんですけど、こういう映画の時は半々くらいまで増える感じでですね。日本映画を知らなければ知らない人ほど面白がっていただくというんでしょうかね。

 
山本小野:(笑)
 

小野:ですからこういう映画、今回は入ってませんけどそういう作品、いわゆるそういうとんでもない映画と言ってますけども、そういう作品が日本映画にはかなりあるんですけど、そういうのはいわゆる評論家的にはほとんど受けてませんのでね。評価されていなかった作品を再発見、というかむしろ“新発見”という感じですかね。そういう作品がたくさんあるとうちとしてもやりがいがあるという感じです。
 



年に1回決まった映画を上映 採算面でやはり苦しい

 
箕輪:邦画は案外そういうふうに発掘する可能性があるし、かけられるってだけでもまだ救いがあると思うんですけど、洋画の方の状況っていうのはかなり厳しいものがあるんじゃないかと思うんですけども。

 
片貝:そうですね、洋画に関しては配給会社と制作した国の会社との間で権利問題がありますので、ある一定期間だけしか日本での上映は出来ないということで、みなさん昔の作品とかご覧になりたいと思うんですけど、それはもう日本ではフィルムがない、もしくは上映してはいけないというような状況が多くあるので…。上映出来る数といえば確かに限られてきます。

 
箕輪:昔、僕が学生の頃なんか洋画の2本立て文芸座とか、あるいは下高井戸なんかよく行きましたけど、やっぱ人気番組なんかは、例えばよく名画座でやった番組ですと『明日に向って撃て!』と『スティング』の2本立てとかね。例えばですよ(笑)。そういうのは本当にある期間何度も何度もやって、そのたびに満員で。そういうものを次の世代もまた同じ番組で観れて、それでファンを増やしていったというような部分があったと思うんですけど。これは早稲田さんもそうだと思うんですけど、やっぱり1回やったら、なかなか1本作品を2回も3回もやりませんよね。

 
片貝:そうですね。かなり間をおいて2回、3回ってなっちゃいますよね。当館ですと上映期間も少し短いので、見逃される方も多いんじゃないかと思うんですけど。

 
箕輪:例えばだけど、そういう掘り起こしという意味で、人がたくさん入った人気作品なんかを早稲田松竹の看板としてですね、例えばこう、何度も上映しようという、そういうようなアイデアというか。

 
片貝:ちょっと前までは年に1回決まった映画を上映しよう、ということをやっていたんですけど、やはり採算という点におきましてちょっと苦しいものですから、今年は上映してないんですけど。
 

山本:どんな映画をやってたんですか?

 
片貝:非常にマイナーな映画かも知れないんですけど、ロシアのSF『不思議惑星キン・ザ・ザ』というのを上映してたんですけど。

 
箕輪:だけど入っていたんじゃないんですか、かなり?僕も記憶にありますけど。入らなかったですか?

 
片貝:というか、あまりみなさん馴染みのない作品だったと思いますで、はい。そういう馴染みのない作品ですと、みなさんやはり足が遠のいてしまうみたいで、そういう場合には、必ず名前の通ったのと2本立てで観てみてくださいという形にならざるを得ないという。


映画館で映画を観ることはマゾ的な行為(小野)

 
山本:小野さん、やっぱりビデオができて映画の運命って変わったと思うんですよね。

 
小野:ええ、いわゆる80年代、大井武蔵野館オープンした頃、レンタルビデオ等の普及が始まって、親しんだ名画座というものはほとんど閉館に追いこまれたと言いましょうか。その頃の原因は明らかにビデオだったと思います。けれども、ビデオもその時代から大分経ちまして、私なんかもビデオを所有するということは初期の頃は大変嬉かったんですけど、結局所有してもただ持っているだけで、かつてその映画から受けた感動がよみがえるわけでもなんでもなくて、気付いてきた方もだいぶ最近は出てきた感じがありますね。ですから映画館には大分戻ってきていただいてるんじゃないかなって気はするんですけど。

 
山本:映画館という建物がすごく、僕が小さい時は異様な感じがして、いかにもそこは非日常の建物である、看板のいかがわしさですね。下手な看板で、これほんとにジョン・ウェインかなっていう(笑)。表がこうあって、中に入るとなんかトイレのにおいがバーとくるという感じで、それで暗い中に入ってブーッと鳴るとスクリーンが上がって、非日常そのものですよね、中に入っていくというか。ビデオの場合はひとりで観てるわけでしょ。ところが映画の場合、僕は映写技師をやって分かったんですけど、みんな同じ方向を観てるわけですね。そうするとその非日常を共有しているので、すごくその、共用している映画が、内容がどうだったというよりも、共有した体験がすごく記憶化しやすいということですよね。ビデオで観た場合は、記憶化というより観たらパッと終わりというようなところがあって、足で映画館に行くという行為、アナログですね。映画館に行くという、これってすごく忘れてはいけない行為だと思うんですけど、どうでしょう?

 
小野:その通りだと思いますね。ビデオは資料等として観る分には大変便利というだけで、観たこと自体は自分の経験というものにはならないんじゃないですかね。単にスクリーンの大きさに限らず、やはり部屋から外に出て、しかもあの、映画を観るという行為というのは、かなりマゾな行為だと思うんですよ(一同笑)。

自分で出来ることといったら観ることくらいしか出来なくて、まあもちろん歩いて行ってですね、あと番組も何を上映するかって勝手に映画館が決めていて、上映時間から上映期間も映画館が決めたものに自分が合わせなくちゃいけませんよね。また逆に、そういう困難を克服して映画館にたどり着いて、その映画と出会うという(笑)。やはりあの、無駄にした部分と言いましょうか、そういうのがあってこそ、そこから得るものが大きいんではないかと、そういうふうに思います。

 
山本:仕事があるとか、学校があるのを抜け出して行くという、この体力ですよね。

 
小野:そうですね。
 

山本:その体力と、それとその窓と言いましたよね。窓的なものって、記憶化しやすい。人間にとって一番重要なのは、記憶がどれだけ豊かであるかというのが人生の豊かさにつながってると僕思うんですよね。で、映画を語る時は、全部過去を語ってるんですね。自分の記憶の。そういった意味でもすごく、僕、2年前にベースボールマガジン辞めて、マットを追放されて、リハビリ2年間していて、まあ毎日が日曜日なんですね。で、快楽亭ブラックさんに会ったら、ブラックさんが「山本さん、これからは映画を観るべきだ」ってね。で、僕に言ったのは、並木座で成瀬巳喜男を観たんだけど、『浮き雲』だけど、「成瀬巳喜男ってどう思う?あれ、何にもないよね」。何にもないよと言われたら、これ観なくちゃいけないと、これ観てないと話す権利ないんでね。あそうだ文芸春秋の原田さんが会社辞めた時に映画ばっかリ観ていたと。よし、俺も映画を観よう。僕は映画館に勤めていたとき年間300本観ていたからね。年間300本観た人じゃないとベスト10を決めるなということを、僕友達に言ってたんですよ。そうかこれからは日曜日だ、毎日が。これでいこうと思って、小津安次郎全部見ようと思ってね。
 

箕輪:だから是非山本さんもね、プロレスの週刊誌というのは24時間体制で、他のことに時間を割かれる暇がなかったでしょうから、もちろん映画からも遠のいていたでしょうから、ぜひこれからはバンバン観て、もっと下手な映画評論家ぶっ飛ぶような、そういう過激な発言をしていただきたいと思いますけどね。

 
山本:いや、いま52歳でしょ。52歳からのこのあとの人生ってすごく重要だと思うんですね。これから高齢化社会なんだから。映画を楽しむということもすごく大切なことなんじゃないかな。新しい青春を生きる。昭和40年立命館大学に入った時は、「映画芸術」という雑誌があって、もうその小川がやってた時に狂ちゃって、佐藤重臣が映画批評やってて、もうそれでもう松本俊夫という評論家がいて、その本読みまくって、もう大島渚とかそういう政治と映画を論じた世界に青春を感じたんだけど、それが52歳でカムバック出来るなという、そういう喜びに今あふれてるんですよね。もう仕事やめようと、働くことやめようと、僕そう考えてるんですよ。



名画座と共に失われるもの

 

箕輪:ちょっと控室でも話したことですが、小野さんはもう、20世紀と共に名画座も消えるんではないかとご自分でおしゃって、客観的に見ればそれも否定出来ない部分はあるんじゃないかと僕も思うんですけど。やはり名画座がないとそういう観るという行為自体が…。
 

山本:いやだってね、大井まで行くというのはね、僕葛飾から行ったらほんとにこれ密航ですよ(笑)。京浜東北線の大井の駅に降りるということは、探していくということは、まだ行ってないから分からないけれど、それ自体がものすごくおもしろい行為ですよね。で、こちらの早稲田さんの方は、学生の町でしょ。何かこう若々しい気分で、大井さんの方は席が60しかない、こっちは200なんぼある。もしかしたら若い人達がたくさんいると思うんですね。そのなかに入っていくということは、すごく新しい青春の第2章になりますもんね(笑)。
 

箕輪:なりますね。

 
山本:ワクワクしますよ。その場所を訪ねて大井まで行くのと、早稲田まで行くというのは。そう思いません?

 
箕輪:いや、思いますよ。やっぱり映画館に行くというのは、僕はそれだけで1つのイベントだと思ってますから。

 
山本:どうですか。若い人が多いんですか?

 
片貝:ええ、やはり学生の街ですので、どちらかというと若い人が多いです。

 
山本:あの、恋人同士?

 
片貝:も(笑)、恋人同士のの方もかなり、はい。

  


世代を越えた文化交流を生み出す“場”

 

山本:僕もね、ついこの間、2日前に離婚届け出したんですよ(会場笑)でもね、あのね27歳の恋人が出来たんだよ、新しく。

 
箕輪:これはあのー、今初めて発表されたことですか?(笑)

 
山本:そうそう。で彼女がすごく、あの、イランの監督の何とかというのが好きで。
 

箕輪:あー、それでキアロスタミの。

 
山本:そうそう。で、今度ビデオ家に持って来るというんでね、僕観なきゃいけない。そういう若い人からの影響もあってね。非常になんてかさ、心がうきうきしてるんですよね。でも、僕も要するにその27歳の人、彼女になんてかさ、銀座の画廊に勤めてるんですけど、じゃ、僕も小津安次郎の作品を、彼女と一緒に観に行こう、ということになればこれ50:50ですね。これははっきり言って年齢を越えた文化の交流ですよ。

 
箕輪:世代を越えて1つの映画を共有出来るというのも、名画座があればこそだと思うんですよね。その映画自体が時代を越えて上映される、そうしたらその時に生きている若い世代が観て、その映画を語り合うことが出来るわけですよね。ですからそういうものがなくなっちゃうと、その、何て言うんですかね、文化的断絶というものが、今度また出来てしまうんじゃないかと思うんですよね。そういうことになってくると、社会全体にも歪みが生まれてくるんではないかと、おおげさな言い方をすればですね。

 
山本:小野さん、映画というものは1人が観るのではなく、同時代を生きた人間が語り合う。例えば『太陽がいっぱい』だったらこうだああだとか、『第三の男』だったらこうだああだとしゃべり合って、映画を観た後、プロレスと一緒でね、朝まで飲むとか。そういうことが僕、健康的な証拠だと思うんですけど、どうですか?

 
小野:やっぱり映画館である映画について観たっていうことは、同じ経験をしたということだと思うんで、ほんとに1本の映画で1晩語り明かすことも可能ですよね。それはやはり、ビデオで観たんじゃそこまでの元気が、エネルギーがこちらに入ってこないという感じはありますよね。
 

山本:そうですよね。

 
小野:やっぱりスクリーンでみんなで観るというのがいいんじゃないですか。

 
山本:みんなで観て遊ぶということが、要するにサロン的雰囲気がするというか、広場になるというか、映画を通して。いわゆる『第三の男』について語るとか、『小さな恋のメロディ』について語るとかね。すごく楽しいですよね。

 
箕輪:それはもう楽しいですよ。例えば話題が何にもなくてもね、同じ映画を観ることによって、それこそ10歳くらいの子と60歳くらいの方がそれで語り合えるわけですよね。あの、観方は違っても1つの作品。そうすると、お互いああこういう観方があるのかとか、それによって新しい発見が生まれたりとかね。映画の素晴らしさってそういうとこにあるんじゃないかと。今日も会場に若い方から年配の方までいらしゃいますけど、例えば先程観ていただいた『ミスター・ノーボディ』、僕はもう非常に大好きで、これ最初リバイバルの時早稲田さんでやったんですよね?
 

片貝:そうです。マカロニ・ウエスタン特集で上映したんですけども。

 
箕輪:あれは快挙ですよね。封切り館を越えてやったんで、僕はもう小躍りして観に行った記憶があるんですけれども。

 
片貝:そうですか(笑)。ありがとうございます。

 
箕輪:あの時、すごい満員でしたよね。

 
片貝:満員…、ええ、マカロニ・ウエスタンファンの方が多く。

 
箕輪:あれが正しい名画座の在り方じゃないかな、と僕はすごく思ったんですけれども。マカロニ・ウエスタンなんて、もうジャンルが死に絶えちゃって、もう今観れないっていうのがね。だから今日もここでやらなければ、多分『ミスター・ノーボディ』、都内とか近郊で観れないじゃないんかなって思って。それで番組編成の時、引っ張ってきたんですけど、まあ、マカロニちょっとという方がいらっしゃるとあれだから、同じヘンリー・フォンダで『十ニ人の怒れる男』で、そういう方には口直ししていただこうかと思って(笑)。そういう2本立てにしたんですけど、妙味がありますよね、名画座の良さとして。やっぱりそういう番組作りが、一般の封切り館ではないわけですから。その2本観て、1本だけ観た時とは違う味わいというか、発見とかね。

 
片貝:そうですね。思いもかけない作品と、という感じですね。お客様に対するアンケートを行ってるんですけれども、1本だけを目当てにしてきて2本続けて観たんですけど、こういう作品があるのは知らなかった、という意見など目にしますと、こういう作品で組んで良かった。これはもうスタッフは心から喜んでおります。

 
箕輪:それは観るほうも同じでね。全然期待してなかった方が面白かったとか、今日も多分『十ニ人の怒れる男』をお目当てに来た方多いと思うんですけど、『ミスター・ノーボディ』、面白かったでしょ?ねえ。

 
(会場反応なし)
 

箕輪:あれ、反応がないか(笑)。


世の中に映画があふれているようでも出会わなければ何にもならない
 

箕輪:名画座があればこそ、その後また再びスクリーンで目に出来るというね。だからやっぱり名画座というのは、僕は絶対必要だと思うし、その名画座の良さっていうのを知れば知るほど、映画に対する愛情もすごく深まってくると思うんですよね。小野さんなんかは本当に好きでは入った道でしょうから、そこらへんのこと充分ご承知でしょうけど。今後そういう経営的なことも含めて、名画座の行く末のことをどのように考えておられるでしょうか?

 
小野:まあ経営というか、基本的にはオーナーは別におりますんで私は現場のことをやってるわけなんですけど。確かに自分が名画座で育ってですね、今お話しがあったように、無理矢理観せられたというか、2本立てで片方を観にいったら、もう片方が面白かったという経験、非常にありますよね。自分だけで最初選んでいれば、どうしても限りがあるのを、言ってみれば無理矢理観せられることによって、ということも確かにあったと思います。

やっぱりそういう場がなくなると、映画との出会いというのがですね、世の中に映画があふれているようでも、そのある人が出会わなければ何にもならないわけですから。さっきちょっとマゾといいましたが、無理矢理でも観せてしまうような場という感じですね。封切りだとどうしても選んでしまうと思うんですよね。ですから、そういう場がないと結局お客さん、というか、映画ファンが面白い映画に出会わないまま終ってしまうということが増えてしまうかもしれないので、頑張りたいと思ってるんですが。

それでも不思議なことに、名画座というのは減っていけば、それでも残っているお客さんがつめかけるから、残っている名画座は何とかいけるって考えたいんですけど、過去を見てくると、名画座がどんどん閉まっていった時代、やはりうちのお客さんも減っていったということですね。結局お客さんがある程度必要としなければ、こちらがいくら頑張ってもということがありますので。閉館というとお客さんが詰め掛けたりとか、日本じゃよくありますね。あの、某監督がなくなるとすごいニュースになったり。
 

山本:いや、ありますよ。プロレスでも、“引退試合だったら”客入りますよ。引退試合以外客入りませんもん今。引退興行だとお客来るんですよね。最後だから観ようというんで。

 
箕輪:だけど、あの何回もやる人いますよね、引退興行。
 

山本:それはプロレスラーのだめなところで(笑)。

 



「古い日本映画に出会うシステムが崩壊してしまったのではないか」(小野)

 
山本:僕もね大阪いた時は、名画座といったら大毎地下えびす橋劇場と2つあったんですよ。その時は2本立てで、例えば『おもいでの夏』とかやるわけですよ。そうした場合になぜ大毎地下えびす橋劇場行くかといえば、2本立てで五百円なんですよ。封切りで行くお金はないけどちょっと待ってれば来るんじゃないかという形だったんですけど、結局、何かその経営自体が、オーナーの人のある意味では道楽みたいなところがあって、それで経営が続かなくなったらそこでギブアップという形で閉館していく。非常にそういうこと多いですよね?

 
片貝:そうですね、名画座に関して言いますと、その館自体のファンの方というのが多いと思うんですけれども。

 
小野:まあ、そうだと思うんですよね。銀座並木座さんでなら小津安次郎観るけれども、大井武蔵野館ならもう観ないという方、不思議とかなりいると思います。うちも、ただ並木座さんがなくなって、例えば新聞とか見ると、これから小津安次郎観る劇場なくなったみたいに書いている方もいるんですよ。ということは、うちの存在がその方の視野には入ってないってことですよね。

 
箕輪:そういう人はやっぱ映画ファンと呼ぶんですかね、だけどね。並木座ファンではあるでしょうけどね。

 
小野:一時的には多少並木座ファンの方で、ものだけのために大井まで足を延ばしていただける方があると思うんですけど、やはり銀座というような場所に、去年の池袋の文芸座さんの場合もそうですけど、繁華街と言いましょうかね、ああいう場所に日本映画に対する入口があったという風に思うんですね。いきなり大井武蔵野館まで足を運ばれる、若い、というかビギナーと言いましょうか、そういう方はなかなか難しいんじゃないかと。まず並木座とか、文芸座というところならば行きやすい。映画というのはちょっと、くせと言いましょうか、中毒と言いましょうか、観始めれば一生観るんですけれども、観なくても別に生きていけますから。今度日本映画入門の場所がなくなってしまうわけですので。そういうわけでさっきもちょっと言ったんですけど、来年はうちかもとも思わないでもないんですが…。どちらかというと、うちの日本映画独占だからこれからはいけるだろうという気持ちより、古い日本映画に出会うシステムが崩壊してしまったのではないかという不安の方が実は大きいですね。


名画座へ行こう!

 

箕輪:実情というか楽屋話だから話していいんだかどうか分かりませんけど、ここがあるからここでじゃあ観れるじゃないかとね、例えば小津安次郎の監督作品をね。だけどね、なかなかそういうわけにはいかないですよ。例えば、今日小津安次郎監督と黒沢監督の2本立てでどうだっただろうと、ということを言われたとしてもですね、まあ近代的なシステムの中ではいろいろな都合があって、例えば画面もいろいろサイズがあるわけですけれども、小津安次郎監督だとほとんどスタンダードサイズで、黒沢さんなんかもスタンダードで撮ってるところもあるけれど、シネスコサイズとか多いわけですよね。そうすると、いま『ミスター・ノーボディ』はシネスコサイズですけれど、そのあとスタンダードサイズで2本立てなんかで続けてできるようなシステムになってないわけですよ。例えば、この劇場なんかはね。音響なんかは本当に最高の設備であるんですけど、やっぱりそういうメジャー映画をベースにした作りになってますから。そうすると、逆にアナログ的な設備の劇場じゃないとそういう昔の映画もなかなか観れないというような。そういうような都合なんかも実はあるわけなんですよね。

 
山本:今の話聞いてわかったんですけれど、例えば誰かが騒いでね、映画は面白いぞということを言い切ることが出来ないのか?それとも昔の映画は面白いんだぞということを、1つのムーブメントに出来るのかという意味で言うと、映画は面白いんだということを言い切る人は出てこないんですか?

 
箕輪:いやだから、この場でそういう風に僕は一応言ってるつもりなんですが。だけど結局もっと不特定多数のお客さんというか、ファンの方がそういことを求めなきゃ、やはりニーズがなければなくなっちゃうものですからね。ですから今日お越しのファンの方には、是非こちらの大井武蔵野館と早稲田松竹さんにも足を運んでいただいてですね、まあメジャーな映画はこちらマイカルで、単館の洋画ものは早稲田松竹さんで、日本の旧作は大井武蔵野館。ちょっと遠いけれども行くだけの価値は絶対ありますから、是非そうやって足を運んで映画を観ていただきたいと思います。それでその素晴らしい経験をどんどん周りの方に伝播してって欲しいですよね。そうすることによって名画座は生き長らえるわけだし、みなさん方も、そういう日本映画観てなかった方も、日本映画だって素晴らしい作品たくさんあるわけですから、そういうものをただ知らないだけなんですよね。ですから自分から冒険するつもりで、是非名画座に行っていただきたいと思います。
 

山本:例えば整体に治療にいくでしょ、便利なところより不便なところの方がはやるんですよね。これ便利なところにあるといいようなんだけど、不便なところにある方が腕がいいとか。武蔵野館さんと松竹さんの建物をまず確認しに行きたいですね。どういう場所とどういう雰囲気のなかでどういう建物として存在感があるかどうかということが映画館の第1歩だよ。それをまず確かめに行くという、そこからまずアナログの第1歩がスタートしますよね。
 



100本の中から10本の傑作を探せ!

 
箕輪:ちょっとお時間の方も迫って来ましたので、最後に小野さんと片貝さんに映画ファンへのメッセージを一言ずつお願いしたいんですが。

 
小野:そうですね、よく言うんですけど、10本映画を観た方が10本とも面白かったという選び方、映画への接し方の一方でですね、100本映画を観たけれどおもしろい映画は10本しかなかったと。その10本との出会いですよね。それがたまたま同じ10本でも、どちらの方がその方にとって、価値があるのかと考えた場合、私は絶対に90本の無駄の上に乗った、その方にとっての傑作という方が得たもの大きいと思うんですよね。何でもそうかもしれませんが、その方が苦労して何かに投資したものが、結局自分に跳ね返って来る、ということだと思いますので。もちろん選ばれて映画をご覧になるわけなんでしょうが、出来れば90本の無駄にめげずに量を追求していただいて、で、結果として残った10本というのは、ものすごく価値がでると思いますんで、そういう観方で映画に是非付き合っていただきたいと思います。

 
箕輪:ありがとうございます。じゃ、片貝さんも一言お願いします。

 
片貝:小野さんもおっしゃられたことと同じようなことになってしまうんですけれども、好き嫌いしないで、どんどん観たほうがいいと思うんです。ビデオよりは、やはり集団で時間を共感できる映画館の暗闇の中。そこで自分の人生を決める1本に出会ったりすると思うので、是非、名画座に限らなくていいんですけど、映画館には足をは運んでいただきたいと思います。
 

箕輪:どうもありがとうございます。じゃあ、せっかくですから、ターザンさんからも一言ファンに激を飛ばしてください。

 
山本:激というよりも、非常に過去のことを思い出したというか。プロレスの仕事をやってたために20年くらいのブランクが映画に対してあるんですね。昔映画館でみんなを集めてホントにベスト10の文集を、自分が全部で20人くらい集めてやってた時代があるんですよね。それはすごく楽しかったんですけれど。もし皆さんと会える時があれば、皆さんと映画の話を、激論というか朝まで語る、という世界になりたいなということで。

 
箕輪:是非そういう機会を設けたいと思います。
長い間どうもありがとうございました。それではここで、映画祭の方からゲストの方に、花束の贈呈をさせていただきたいと思います。

 
(市民スタッフからゲストに花束贈呈)

 
箕輪:どうもありがとうございます。それとですね、小野さんと片貝さんには、本日会場にお越しいただいたファンと映画祭関係者の方から、感謝と激励の意味をこめた色紙を差し上げたいと思います。こちらのほうには宮崎雄二さんの各劇場のイメージをあしらったイラストが載っていますけど、今村昌平監督をはじめいろんな映画関係者、ファンの方がみんないろいろ気持ちを書いていただいた…
 

山本:今村さんが「さよならだけが人生だ」と。

 
箕輪:そう、山本さんも同じことを書こうとしてショックを受けてましたけど。まあそんなことはどうでもいいのですが。では、こちらを差し上げたいと思います。頑張ってください。

 
(色紙贈呈)

 
箕輪:ほんとに今日はありがとうございました。

 
(ゲスト退場)

 
箕輪:すみません、最後に一言。3日間名画座スペシャルやらせていただいて、いたらないところいろいろあったと思うんですけど、お付き合いいただいてホントにありがとうございます。是非皆さん、名画座に足を運んで下さい。もっと必ず映画好きになるし、いろんな発見があると思います。どうもありがとうございました。