座談会 仙頭直美監督を迎えて「忘れかけていた時間からの招待状」 98年10月7日(水)19:00〜

ゲスト:仙頭直美(映画監督)、関口裕子(キネマ旬報副編集長)
司 会:村上華子(市民プロデューサー)
参加者:藤井梨美子、松下恵美、由田志穂(市民スタッフ)



・「日本の方だったら『あそこはじーんときたわ』と思われるシーンで、大笑いになるんですよ」
・《『萌の朱雀』のプロデューサーの仙頭氏との結婚》
 「生きてる地平がそのまま映画につながるっていうことが、よりリアルになったですね」
・人と人が“向き合う”ということ… カメラが武器になってしまう
・「映画って、『用意、スタート』から『カット』までだけじゃないんじゃないかとすごく思うんですよ。
・西吉野村からの便り
・会場からの質問 カンヌ以降、“作ってて、語れること”以上に“作った後に語れること”の厚みが増えた
・「一個作品を作ると、人生変わっちゃうんで…」
・次回作は大仏みたいな映画!?



村上:それでは仙頭監督とキネマ旬報副編集長の関口裕子さんをお迎えして、座談会を始めさせて頂きたいと思いますので、皆さん大きな拍手でお迎え下さい。

 (会場拍手、ゲスト入場)

村上:ではまず、『萌の朱雀』を観ました感想や質問などを簡単にさせて頂きたいと思うのですが…。海外で多く上映されましたが、〈萌の朱雀は〉割と日本的な作品だと思うのですが、外国人の反応はどういった感じだったでしょうか。日本人と比べて反響の違いというのはいかがでしたか?
 

「日本の方だったら『あそこはじーんときたわ』と思われるシーンで、大笑いになるんですよ」

仙頭:え〜と、これがまた、一つにに外国と括ってしまう程、単純じゃなくって、例えば、香港とか、シンガポールとか、いわゆるアジアではまた違うんですけど、ヨーロッパでもまた違ったり、北米でもまた違うんですよ。特に北米なんかに行ったりすると、日本の方だったら「あそこ〈あの場面〉では、じ〜んときたわ」と思われるシーン〈栄ちゃんがみちるの頭にぽんと触れて、みちるが「好きやねん」と言う〉で、あっこでね、大笑いになるんですよ(会場笑)。笑わせるために作ってないですよ、もちろん。あぁ、なんか馬鹿にされてるのかなぁ、と思うと、やっぱりそうではなくてですね、コミュニケーションを言葉に頼ってる人種にとって女の子にあれだけ体当たりで告白されてるのに、何で抱きしめてキスしないんだろう?っていう笑いなんですね。
 

村上:なるほど。
 

仙頭:そういう反応が、すごく人種を反映してるというか、国民性を反映してるというか。非常にそれはどの国でもそうでしたけど、あまりにも人間達がシャイすぎるんではないかということは言われました。
 

村上:なんでもっとしゃべらないんだっていうところですか?

 
仙頭:ええ、それは日本国内でも言われましたけど、その辺が、賛否両論で、例えば友達との会話で「あの映画どうやった?」って話しをしますよね、そういう時に「う〜ん(沈黙)」っていう感じの映画じゃないですか?この映画って。
 

村上:そういう感じですね、言葉ではちょっと言いにくいっていうか。
 

松下:消化するのに3日ぐらいかかるっていうか。見終った後は、なんか“いい”っていうのは分かるんですけど、どこがいいっていうのは分からない。それが3日経つと、あぁ、あそこかな、1週間経つと、あぁ、あそこかな、1ヶ月経つと、あぁ、あそこかな、と自分の中で変化して成長していく感じがありました。
 

仙頭:あぁ、そう。

(ここで由田マイクの音が入らず、松下のマイクを奪う)

仙頭:あっ、マイク入らないんですか?音声さん、5番はマイク入らないって言ってますよ!(監督自ら音声さんに指示を出す)
 

由田:彼女と私の場合は違って、私は仙頭監督にすぐ反応してしまうみたいで、見てすぐ、だぁ〜っと泣いてしまいました。今先程も、控室で監督にお話を伺ったら、きちんとお答えを頂いて、もうまた、だぁ〜っと泣いてしまって…。
 

仙頭:そうそう、さっき泣かしてしまいましたよ。(笑)


 《『萌の朱雀』のプロデューサーの仙頭氏との結婚》
 「生きてる地平がそのまま映画につながるっていうことが、よりリアルになったですね」

由田:泣かされてしまいました。そういえば話しは飛ぶんですが、先ほど控室でお話を伺っていると家庭生活はご円満のようにお見受けしましたが、いかがですか?家庭も、仕事も大切にされてという感じでしたが。
 

仙頭:そうそう、河瀬直美だったんですけれど、いろいろあって仙頭直美になりました。 《『萌の朱雀』のプロデューサーの仙頭氏と結婚》は〜い、もう一年経つんですよ。
 

松下:やっぱり、一人で撮ってる時と、夫婦になられてからでは違いますか?隣に理解してくれる人がいるようになるとものの見方って違ってきますか?
 

仙頭:う〜ん、そうですね。あの、う〜ん。
 

松下:優しくなったとか?
 

仙頭:いや、元から優しいですよ(笑)。嘘です。え〜っと、映画を一緒に撮るわけですから。〈皆さんは〉映画って出来上がっているものに触れる機会が多いですよね。でも作ってる場所って戦場なんですよ。もう本当に苦しいことの方が多いくらいで、言葉で言っちゃうと苦しいことっていうのも簡単になっちゃうんですけど。必死にやればやるほど深みに落ちていくっていうか、切られるっていうか。さっき今村さんもおっしゃってましたが、編集時に血がなくなって死んでしまうっていうか、出血多量で死んでしまうっていうか。フイルムを切るっていうのはホントそうなんです。〈そういうの〉を共有するのが普段一緒に生活している“彼”っていうのは、ホントにすごい時はすごいんですけど。す
ごいっていうのは、カンヌの赤いカーペットを手をつないで歩く時とかね(会場笑)。何かこう、ぬかを混ぜて、一緒にお漬物を漬けてる時とかね。
 

一同:なんか、のろけてません?
 

仙頭:ちょっと、のろけてぇ(笑)ただ、現場も一緒ですから、スタッフのミーティングの中でも、かなり厳しいことを言い合うわけですよ。
 

松下:お互いものを作るひと同士として、ですか。
 

仙頭:そう、生きてる地平がそのまま映画につながるっていうことが、よりリアルになったですね。〈結婚をして〉
 

松下:やっぱり、旦那様はプロデューサーとしての意見をおっしゃいますよね。で、監督は“監督”という、ある意味で反対の方向を向きがちな立場じゃないですか?
 

仙頭:いや、それはね、わたしは他のプロデューサーと仕事をしたことがないんで、すごく幸せなことだと思うんですけれど、彼は、いわゆる悪役って言われてるような、そういう面だけを持っているのではなくて、作品の中身の部分をまず第一に考えつつ、予算組みをしていくっていう所もあるし、現場管理をしていく、質管理をしていくっていう所があるんです。最近テレビとかでドキュメンタリーをやろうとしてたりするんですけれど、テレビのプロデューサーの中にはお金から始まったりする人もいて。私が出会った人がそうだったのかも知れないんですけど…。かなりムカついたりします。
 

松下:映画だけじゃなくてどの世界もそうですけど、先にお金が来ちゃって。お金が好きな人は羽ばたけるけど、そうじゃない人には胃が痛くなるような、そういう人種っていますよね。
 

仙頭:お金も好きですけどね。(笑)


人と人が“向き合う”ということ… カメラが武器になってしまう

村上:ではここで、実は先日、私と由田で、映画のロケ地になりました西吉野村へ行って来ましたが、その時にですね、ロケ地の周辺ですとか、村の方々にお会いして、出演者の方にもお話を伺いましたのでその辺をスライドを見ながら、質問していきたいと思います。エピソードとかもお伺いしたいです。

 (ここで場内の照明がダウンし、スライド映写されるはずが、少し時間がかかる。仙頭監督が「スライドOK出ました」とその場を仕切ってくれる)

村上:9月の西吉野村です。

 (撮影現場の家からの景色、吊り橋、家などのスライドを上映)

村上:村の方は、ばったりお会いした方でもすごく気さくで、そして『萌の朱雀』については誰に聞いても「あぁ、あぁ」と何でも教えて下さるという感じでした。あの吊り橋の所ではちょうど曼珠沙華(まんじゅしゃげ)が一面に咲いていて綺麗でした。
 

由田:『萌の朱雀』の照明の鈴木さん〈鈴木明子さん〉がちょうどロケ地の家のお隣に住み込んでしまわれていて、色々お話をお伺いしたんですけれど、鈴木さんの方から「感情的な場面も撮ったんだけど、編集の段階でカットされた」というお話が出ましたが、その辺について、かなり意図的にカットされたわけですか?
 

仙頭:たとえば、孝三がいなくなった辺りで、孝三を“寄り”で撮っているカットは素材の中にあったんですけれど、そういうのは全部排除しました。それは、人がいなくなるということだけですごいことだと私は思うので、お父さんが亡くなったことを追うっていうことに終始してしまいがちなんで、〈それを避けるために〉そこを思いっきり切って、後に残された人達の心の有り様ということを丁寧に描いていきたいなと思ったんです。だから、撮ったは、撮ったんですけれど、やっぱり上がってきたものを見るとしっくり来なかったんで、流れとして切りました。

 (映画『そまうど物語』にも登場した上垣さん、平さんのスライド写される。傘を肩にポーズをとってくれている。)(会場笑)

村上:平雄の道を歩いてましたら、今日は村祭りじゃった、といって向こうから歩いて来られるのにお出会いしました。
 

仙頭:平清文さんは、〈『萌の朱雀』でも〉老人ホームにおじいちゃんを送る隣の人役で出てますが、平さんて、本当に平家に関係あるんですよ。平家の落ち武者の村なんで。
 

由田:あのですね、この方が、監督のことを「あの子、あの子」というんですね。「よう来とった」と。撮る対象の方と監督との距離が、とっても近いと感じたんですけれど…。
 

仙頭:やっぱり、人と人が関係していく中で、まず出会って、しかもこっちがカメラを持っていて、それは、“向き合う”ということにはならない、通じ合うっていうことにはならないと思うんです。つまりカメラが武器になってしまって、こちら側に優位な関係を持ってしまうっていうことで…。そうじゃなくて、私自身がこの場に溶け込まないと作り得ないという風に思ったんで、地下足袋履いて(会場笑)、バイクに乗って、とうもろこし持って行ったり、トマト持って行ったりしました。
 

村上:村に溶け込んだという感じですね。
 

仙頭:そう、何かね、ほんまに地下足袋履かないと、歩けないような場所。そうじゃなかったですか?
 

由田:そうなんです。ロケ地の平雄に行くのもすごい坂道で、車が通るのも片側が崖のような所を落ちそうになりながら行くんですよね。でも3回通いましたので、大丈夫です。今度ご一緒に。(笑)


「映画って、『用意、スタート』から『カット』までだけじゃないんじゃないかとすごく思うんですよ。」

村上:さて会場の皆さんご存知ない方もいらっしゃるかと思いますが、この作品は、お父さん役の国村隼さん以外は、皆さん素人の方の出演です。村の方ももちろん素人さんで、おばあちゃん役の方もそうなんですが、敢えて、素人さんを使おうと思ったのはどういうことでしょうか?
 

仙頭:えーと、素人とか、プロとかの“境”っていうものが世の中に在り過ぎるなぁというのが私の元々の考え方で、例えば作り手と見手という所にも境がものすごくあるし、〈本当は〉そうでなくて、やっぱり一人の生きてる人間なんだっていう“もと”に戻った時に、より感情豊かに生きてる人が、カメラを向けた時にもこちら側の出方次第では、感情的な表情を出せるんではないかっていうことは今までからすごく思ってたんです。

つまりよくいるのが、みちる役の子みたいな若い世代の子で、タレント事務所にいて、演技の勉強なんかしてるわけですよ。多少の勉強は必要にしても、じゃぁ、“泣き”は、コレねとか、“笑い”はコレとかね。ちっちゃい子とかでもね、コンコンって〈ドアを叩く音〉事務所に入ってくるのに「おはようございます」って言えてしまう、っていうのはやっぱり変な業界約束事に人格をはめ込んでしまってるなぁ、と常々思ってました。一応オーディションなんかもしたり、劇団ひまわりに行ったりとかもしたんですけど(笑)、会う子、会う子、みんなすごく私の前では礼儀正しい。その子の何かを、剥いでいくことの方が難しい、っていうのはありましたね。それよりも、ここの地に生きて「とうちゃん、かあちゃん」ゆうてる子たちに、なんかこう自分自身が近づいていこうと…。
 

松下:演技っていう事をあまり認めないっていうことですか?
 

仙頭:いや、もちろんね、演じなければ、成り立たないですよね。カメラが回ってて、「用意、スタート」で始まる世界だから。もちろんそれは必要なんだけれど、映画って、「用意、スタート」から「カット」までだけじゃないんじゃないかとすごく思うんですよ。
 

松下:普段生きてる生活も含めてということですか?

仙頭:ええ、ええ。感情豊かに生きるとか、アンテナをいつも働かせてる人達は、皺の数もやっぱり違う、笑いの角度とかそういうのも全部絶対違うからね、ということです。


西吉野村からの便り 

(祖母役で出演された和泉幸子さんが紫色の鮮やかなブラウスで写っているスライドを上映)

仙頭:おばあちゃん、本当に派出なんですよ。(笑)
 

村上:とても明るくて、二人でお邪魔した時も本当に延々とお話がつきなくて…。
 

仙頭:もう、帰られへんような、感じちゃいましたか。(笑)
 

村上:ええ、でもこの作品に出られたことを本当に喜んでらして、色んな写真や新聞の切り抜きや『萌の朱雀』を観た方からの手紙ですとかを箱の中に大事にとってらして、「これは私の宝なの」と嬉しそうに見せてくれました。そのおばあちゃんから、監督に宛てて、お手紙を頂戴してますので、ご紹介します。

(スライド終了。)
 

藤井:私が、つたない朗読を…。家族相手に十回程練習したんですが…。
 

仙頭:(スタッフ藤井の二人の息子が会場で見ているので)もう、子供も見てますからね、しっかりやって下さい。おかあさん!(笑)
 

藤井:おばあちゃんだと思って聞いて下さい。
 

 長い間ご無沙汰しています。特別暑かった、今年の夏もやっと終わりに近づきここに西吉野 の山では、朝晩めっきり秋の気配を感じるようになりました。その後もお元気で益々ご活躍のこととお察し致します。私も、まあまあ元気で頑張っています。

 早いものでお世話になって丸二年が経ちました。その間映画、テレビをご覧になった大勢の方が、遠くは北海道、山形、東京、神奈川と、平雄のロケ地を訪ねて来られ、映画のおばあちゃんに会いたいと、家に寄って下さるので、その度に私が案内さして頂いて、何度となく足を運び、思い出話をさして頂きながら、あの平雄へ登りますと、昨日のことのように懐かしく思い出にふけっています。本当に大勢の
方とお知り合いになり、今もずっとお付き合いさせて頂き、これも、あの映画に出させてもらったお陰と、私の一生の思い出と喜んでいます。

 先日来しんゆり映画祭の関係の方が遠い所わざわざ二度もお訪ね下さって、監督に何かメッセージをとのことでしたので、簡単ですが一言お礼の言葉と致します。

 季節柄、ご主人様共々お体ご自愛下さって、益々ご活躍下さるようにお祈り致します。次の映画を拝見するのを楽しみに待っています。暇を見て西吉野へもお訪ね下さい。  

西吉野村茄子原  和泉幸子
仙頭直美監督様
 
 

仙頭:ありがとうございます。

(手紙を監督にお渡しし、会場から拍手)

村上:神村さん〈『萌の朱雀』で、お母さん役の方〉もおばあちゃんと一緒に色々苦労して、印象深かったということで、その神村さんの方からもお手紙を頂いて参りました。
 

由田:先日本当に偶然、京都で友達と待ち合わせていた喫茶店で、神村さんが働いていらしたので、メッセージ頂きました。

(途中略)
 和泉さんとの思い出ですが、台所のシーンで、一つのシーンを撮るのに10時間かかった時の休憩時間、机越しに仙頭さんと話をしていて、私はもうへとへとに疲れて、結構、素の自分でやっていたような気がしたのですが、出来ていないということで途方に暮れて、和泉さんも途方に暮れていて、机の下で、手を握り合ってたのが印象に残ります。年代の違う人と手を握り合って物事に向かう事は少ないよう
な気がしますから。私達は嫁と姑の関係ということを言われていたのですが、なんだかその時から距離が縮まったような気がしました。

 監督への、メッセージですが、友人に誘われて、久しぶりに行った奈良の街はきれいな青い空にとろんとした昼下がりの空気でした。少し軒の低い旧市街は背の高い建物の多い駅周辺から比べると、違う時間が流れているようですね。次に出来上がるのはどんな映画でしょうか。          

神村 泰代
仙頭:ありがとうございます。

(会場より拍手)


会場からの質問
 自分でチラシを作って、映写機を持って… 

村上:さて、まだまだお話させて頂きたいのですが、ここで観客のみなさんの方から質問を受付けたいのですが…。
 

仙頭:あっ、手が挙がってます!(と観客の方を指差す。多数の方から挙手が。)
 

質問者1:おとうさんが亡くなった後で8mmで映像が流れますよね。あの時の家族の表情がよく出来てたと思うんですが、あれはどのような?
 

仙頭:8mmの映像は、わたしが撮った画です。あの後に流れるのが一応その画だということですね。はい。
 

質問者1:私も自主製作映画を作っているんですが…。監督も昔、自主製作映画を作られていましたが、人に見せるという点で、心がけることなどを教えて下さい。


仙頭:自分で、チラシを作って、それで、自分で情報宣伝をして、自分で映写機を持って、自分で公民館とか行ってたんで、そういう作業の中で、少しでも何かを疎かにしてしまうと、“観るこの瞬間”が疎かになってしまうっていうことはすごくあると思います。つまり、ここでこういう風に出会える間にかなりしなきゃいけないことがあるし、その間にいる人達が沢山いるから、その人達との関係を真っ直ぐに見つめて、やっていくことなんじゃないかなと思います。
 

質問者1:今日、自分の作品を持って来ました。観て下さい。

(質問したお客さんが自分の作品を監督に手渡す)

仙頭:頑張って下さい。
 

 カンヌ以降、“作ってて、語れること”以上に“作った後に語れること”の厚みが増えた

村上:では、他に?

  (スタッフ藤井の息子さんが手を挙げて、質問)

藤井:息子です!
 

質問者2〈藤井〉:この映画を撮られて、監督自身で何か変わったことはありますか?
 

仙頭:息子ですね。はい、もちろんこの映画を通して、出会う人の数が増えました。その中で、カンヌ以降特にですけれど、『萌の朱雀』について私に対する質問が増えた。そうする中で、“作ってて、語れること”以上に“作った後に語れること”の厚みが増えたというのは、次への“何か”がかなり増えた、ということだと思う。その“何か”っていうのは、さっきも冒頭で言ったみたいに、世界にはあらゆる人種のあらゆる文化の人がいて、日本人だけではない、“確かに生きている”人達がいっぱいいるから、いろんな考え方があるんだ、ということです。そして、いろんな考え方や諸外国の人に触れて、むしろ私は、自分の原点をもう一度見つめと思ったこと、それがすごく大きかったじゃないかな。カンヌの舞台で、「ありがとうございます」と言った時に、何か、すごい遠くに自分のおじいちゃんと、おばあちゃんの姿が見えたんです(笑)。だから当り前かもしれないけど、〈今生きている〉その場所で、表現を続ける、もっと言うなら今は彼との生活の中で、表現を続ける、最初からずっと言ってるんだけど、日常というものと同じ地平で映画があり続けるっていうことを確信した、ということですね。
 

 幻の鉄道

村上:あともう一方、この方で終わりですので。
 

質問者3:〈吉野出身の方〉言葉や形振りなど全てが自然で良かったです。映画に出てくる西吉野村の鉄道がどの方面に向かって引かれていたのか教えて下さい。
 

仙頭:五新鉄道と言いまして、五條と新宮を結ぶはずだった、いわゆる紀伊半島縦断列車として、明治ぐらいから、構想が持ち上がったんです。太平洋戦争とかが間に挟まって、トンネルも当時は火薬庫になったりして、“延期”という形で続いてたんだけど、国鉄の民営化の流れの中で、廃止になる路線もあるので、建築中の路線も“中止”っということになったんです。それでも昭和60年ぐらいまではやり
続けていて、現在は五條から、大塔村っていうところまではトンネルで抜けてるんですよ。車〈の道〉で言うと168号線の道の代わりに出来るであろう鉄道だったんです。山っていうのは高低さがあるから、登らないでしょ?だからここでは、山をループで、結ぼうとしたんですね。ループでちょっとづづ高低さをつけて、通そうとしたんですね。そのループを残して中断したんです。もしそのループが出来てたら、今でもつながるんです。ただすごい古い形のやり方なんで、今の電車は〈規格が合わなくて〉通らないんですよね。


「一個作品を作ると、人生変わっちゃうんで…」

村上:関口さんの方はいかがですか?


関口:私はどちらかというと、この座談会の舞台裏の方をしゃべらせて頂こうかなと、思います。この座談会の前の打ち合わせでも、ボランティアの方々の、この映画への想い入れというのが溢れていて、それが監督へ、矢継ぎ早にぶつけられるんですよ。私はただただ本当に圧倒されながら、見ていたんですけれど。その時に監督が「私、人の人生を狂わせることが多いの」と言ってらしたんですが(笑)、多分この映画を観た方の人生が狂うっていうのはあるんじゃないかと思います。もちろんだんなさんの人生もあるかもしれませんけど…。そういう意味で、自分を表現する仕事とはこういうことなのかなぁと、スタッフとのやりとりを見ていてうらやましく思った次第です。また、この映画祭自体も監督がおっしゃる様に“想い”っていうことを一つの形にした映画祭だなぁ、ということを感じたんですね。ですので、この映画と映画を上映しようと思っているスタッフの方達の姿勢っていうのがすごくマッチして、いい映画祭になったのではないかなと、思ってます。あっ、何か結論みたいにまとめちゃいましたけど。(笑)
 

スタッフ一同:ありがとうございます。
 

関口:監督に質問なんですが、今までは奈良で“組画”というグループで活動されてて、今度は訳あって東京に移られて、映像を作ってらっしゃるんですけれど、住む場所や、これからの人生の生活基盤がずいぶん変わってきたわけですが、そのことは映画製作にどんな影響がありますか?またそれが新しい作品に何かしら関わりますか?
 

仙頭:難しいですね(笑)。一個作品を作ると、人生変わっちゃうんで、そうそう、映画作ったことのない人は是非作って下さい。というのは、例えば普段の生活を五年かけてしている中で気付くことが、映画を作る現場では一週間で気付くことがある、というぐらいかなり凝縮した、緊迫した所〈撮影現場が〉なんですよね。だから、私は、何が変わったって、はっきりは言えないんですけど、確実に新しい世界に向かって進んでいるなっていうことはあります。つまり今まで、自分が持っていたものにあぐらをかいて作品を撮るのではなくて、そこから先に未知のものを見つけながら、歩いて行くというようなやり方をしてるんで、このカンヌ騒動っていうのは、もう自分の中ではあのトロフィーを手にした時に終わってるんですね。ただ、帰国したらそのことを取材されたりするんで、答えていくわけですが、それは先程も言ったように繰り返す中で、見えて来るものもあるからなんですね。でもそれはそれとして、次のことをやらないと、つまり作り続けないといけないと…。〈私にとってそれは〉生き続けるということと多分同じだと思うんです。
 

松下:それでも、自分の原点は、やっぱり変わらないんですか?それとも、一作、作るたびに原点さえもぶち壊しちゃうということですか?
 

仙頭:原点は変わらない。自分の作品の原点はやっぱり、“人間が生きていること”を表現したいという所にあるので、それは変わらない。もしかしたら、“宇宙モノ”を作るかもしれないけど(笑)その場合にもやっぱり人が生きてるっていうことを問題にし、〈そこにある〉人間の感情を描いていかなきゃいけないなと思う。


次回作は大仏みたいな映画!?

仙頭:最近ね、次の映画を撮る中で…、そう、それを聞かなきゃいけないんですね?(と司会者の方を向く)
 

村上:(笑)はい、次回作のことをちょっと…。皆さんもお聞きになりたいと思うんで、お願い致します。
 

仙頭:あまり、聞きたくないんじゃないですか?(笑)
 

一同:聞きたいです!
 

仙頭:あの、“奈良”です。漠然としたことを言うと、大仏みたいな映画を撮りたいなと…(笑)。恋愛映画なんですけど…。

(この後、スタッフ一同で「大きいっていうことですか?」「どんな映画ですか?」と期待を込めて矢継ぎ早に質問が続いたので)

仙頭:ワイドショーみたいですね、この座談会は…(笑)。奈良って「なんと大きな平城京910」で、もうすぐ平城遷都1300年で、1300年ぐらい歴史があるんです。1300年も前にあんなにでっかいものを造りあげた人が確かにいて、それがここに現存していて、その前に立つと心が鎮められたり、湧き立ったりするようなパワーがあるってすごいことだなと思うんですね。造った人はもういないのに。そういう意味で自分はせっかくこの世に生まれて来たから、何かを残したい。それはたぶんよそのものじゃなくて、唯一の自分〈を残す〉ということでしか有り得ないんじゃないかなと…。それは世界にとってはかけらかも、微塵かもしれないけれど、精一杯やることが大仏につながるのかなぁと思ってるんで、そういう映画を作れたらいいと思うんですけれど。
 

関口:そこで、蛇足なんですけれど、カンヌで上映をご覧になったある老夫人が仙頭さんに走り寄って、「あなたは、映画の歴史をすべて継承したかたね。」っていう風に言ったらしいんですね。その時にそれを聞いていた方が、別の場所で仙頭監督が奈良の大仏の話を語られたのをお聞きになって、「奈良の大仏って歴史を継承してるものというか歴史をすべて受け止めているものだから、なるほどそういうこ
とだったのか」という風に思ったらしいのですが…。《“奈良の大仏のような”といっても色々解釈できるということ》
 

仙頭:あぁ、だいたい、どなたがそうおっしゃったか分かります。(笑)
 

村上:それと、明後日ですね、10月の9日。BS2で、ドキュメンタリーの作品が放映されるのですが、何時からでしたか?
 

仙頭:秘密にしてたんですけど(笑)。夜8時からです。
 

村上:それは、三船みかさんと、尾野真知子さんと、カメラマンの方の作品だ、ということなんですが、〈時間もないので〉簡単にご紹介して頂けますか?
 

仙頭:三船みかちゃんと、尾野真知子を撮ってる写真家がいてその現場を私がドキュメントするっていう作品なんだけど。構造的には写真集が出るんです。それに私の映画もあるんです。今回はTV版なんです。それを撮ってるまたNHKの番組班がいるんです。構造が三重になってる。
 

村上:是非、見てみたいです。題名は?
 

仙頭:『万華鏡』です。
 

由田:撮る人を、撮る人を、撮るっていうことですよね。
 

仙頭:という風に単純だといいんですけれど…。企画段階ではそうだったんですが。考えてもみたら、“捉えられる対象”があらゆるところにあって、カメラが3つもあるから、傷つけ合うし、攻めぎあうし、捉えたい時に捉えられないというジレンマもあって、表現者にとってはあんなことやるのは、命取りですね。
 

由田:では、命取りの作品を是非みなさん、観て頂きたいと思います。
 

仙頭:命取らんといて下さい。(笑)
 

村上:では、まだまだお伺いしたいこともあるんですが、ちょっともう夜も遅くなってしまって電車もなくなってしまいますので…。

(ここで会場から質問の挙手)

質問者4:影響を受けた映画監督などは?
 

仙頭:いません。映画全然知らんかったんです。実業団でバスケをやろうかなと、思ってたぐらいなのに、ある日偶然、カメラを手にして、撮ってみて、あがってみると、“もうなくなってしまったもの”がそこに蘇ったんです。すごいなと思って。影響を受けた人というのはよく質問されて、「いません」と答えると、「なんで、なんで?」とよく言われます。じゃあ、映画がなかった時、写真がなかった時、何もなかった時って、人間何も出来なかったのかというとそうじゃなくて、何もない所でも自分さえあれば、何か出来ていくんじゃないかという気はしてます。自分は。
 

村上:はい。ありがとうございました。今日はお忙しいところを本当にありがとうございました。

(会場拍手、この後花束贈呈。会場をでても仙頭監督は観客に囲まれて、質問攻め)