橋本さんがつづる山古志村での撮影の様子。随時更新します!

Part1(1月15日、16日)

2001年1月15日(月)
関越自動車道の関越トンネルをロケ車が通過した時、一人のスタッフが大声をあげた。
「うわー!やばいっす」
ふと窓外を見ると・・・ 一瞬、息を呑んだ。 予想以上の大雪だ。おまけに視界も悪い。天気予報で雪が降るとは聞いていたが、まさかこれほどとは・・・。今日から10日間の新潟ロケ。16年ぶりという記録的な大雪はまるで我々の行く手を阻むように降り続く・・・。  

いつも思うのだけど、本当にこの群馬と新潟の県境を貫く関越トンネルの向こうとこちらでは、まるで別の国ではないかと思うほど風景が変わる。群馬の水上まではすいすいと順調に飛ばしてきたが、ここからはどっこいそうはいかないようだ・・・。
「大丈夫ですかね?」助監督の北原が心配そうに僕の方を見て言う。
「ま、行くっきゃないでしょ!」と僕。
雪国初体験の彼にこのシチュエーションでの運転はさすがにかわいそうだと思い、自分が運転することにした。 雪道はいろんなロケで経験しているが、こんな大雪での運転はさすがにあまり記憶にない。 そろりそろり、慎重に進む僕らの横を雪道に慣れた大型トラックがまるであざ笑うかのように通過していく。湯沢を過ぎる頃になるとますます視界が悪くなった。


・・・・・苦闘1時間半、いや2時間か、ようやく小千谷インターまでたどり着く。昼食に入ったラーメン屋から役場の青木さんにTEL、青息吐息の我々に青木さんの一言。
「チェーンないと役場までの坂、上がんないよー」。
「・・・・・。」
一応、スタッドレスタイヤは履いてきたのだが、やっぱり甘かった。今度来るときは四駆、絶対四駆、呪文のように呟きながらみなでチェーンを巻く。 チェーンを巻いた車はさすがにすべらない。山古志の急坂をゆっくり低速ギアで上っていく。・・・30分後、役場に無事到着。 さすがに役場でも上を下への大騒ぎで、役場の人の通勤車が雪に埋まって見えなくなっているものもあった。



青木さんの計らいで村の自動車会社の4WDを借りられることになり、皆もほっと一息。山古志のカーブの多い急な坂道は、4WDじゃないととてもじゃないが怖くて走れない。 青木さんの話では、1月にこんな豪雪になるのは珍しいそうだ。ついているのか、いないのか、とりあえず青木さんに礼を言い、一路、種芋原にある我々の宿舎に向かった。宿舎への道はさながら雪道のラリーコース。若い助手連中はいつもと違うこの非日常的な状況を楽しんでいるかのようだ。 これから先、ロケは無事できるのだろうか?容赦なく降り続く雪を眺めながら僕は少しだけ不安になった・・・・・。

1月16日(火)

朝おきてびっくり。なんと雪は3m積もっていた。おまけに東京から乗ってきたロケ車はバッテリーがあがり、動かなくなってしまった・・・・。それでも雪はやむ気配すら見せない。 夜中からフル出動で走っている除雪車がグオーンという凄まじい音を立てて村内を行き来し、雪の壁を削っていく。 雪もここまで多いともう風情とかなんとかの領域ではない。まさに雪との闘いである。

朝食後、さっそく旧中山トンネルに行ってみた。雪に埋もれた中山トンネルは人間の訪問を拒絶するかのようにひっそりと静まり返り、ぽたぽたと落ちる水滴の音だけがまるで心臓の音のように規則正しく、リズムを刻んで、我々の耳に響いてくる。

静寂・・・・・。さっきまでの喧騒がまるで嘘のように、しんしんと降る雪はまわりの雑音を消し去り、一切の不浄を洗い流してくれるかのようだ。 ポジションを決めて、厳冬の中山トンネルを撮影する。本当は沢の向こう側から少し俯瞰めの画を撮りたいのだが、この雪ではなかなか厳しい。雪が落ち着く時期にいつか挑戦しようと心に誓う。


中山トンネルを掘った小松倉の集落の実景を撮っていると新潟日報の記者の田島さんがカメラマンと一緒に現れた。 田島さんは我々の映画の趣旨に賛同してくれているありがたい新聞記者であり、前にもいろいろ書いてくれたことがある。 今回は本格的に冬の撮影が始まったという光景を取材したいとのこと。ありがたく取材を受けることにする。助手の根本と北原は取材されるのが嬉しいらしく、時々カメラを意識してしまうのが なんとも微笑ましい。 撮影風景の写真を撮ってもらい、スタッフたちが軽いインタビューを受け、取材終了。新潟日報は新潟では一番購読者が多い新聞で、新潟県民には絶大な信頼があるという。 いろいろな人たちに支えられてこの仕事が進んでいくことに素直に感謝したい。


午後から本格的に豪雪の撮影を開始。雪にすっぽりと埋もれた小松倉の家並みを撮っていると日本も狭いようで広いな、とつくづく思う。 車でたった4時間あまりしか離れていないのにこれほど差があるとは・・・。 撮影を終え、挨拶まわりと撮影の仕込みを済ませ、宿舎に戻ったのは夜の6時頃だった。慣れない雪道の運転と寒さで疲れた体をストーブの火がやさしく暖めてくれる。 飯をみなで作り、ワイワイいいながら食べた。・・・うん、こんなロケも悪くないな。スタッフのちょっぴりビールで赤らんだ顔を見ながらそう思う。 しかし数時間後、我々を凍りつかせる大変な事態が起ころうとはその時、誰も気づくはずもなかった・・・。

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