司会:確かに、GOMAさんのインタビューもなければ、取材の記録もない。ドキュメンタリー映画として皆さんの想像するような映画とはまた違うところがありますよね。
松江:そうですね。撮影するまでに半年ぐらい時間があって、その間にGOMAさんのお家に伺って、お話を聞いてるんですけど、なんか、撮っちゃいけないな、という感じがするんですよね。それはやはり、何週間か前に会って、また会いに行くと、GOMAさんはそのときのことを覚えていないんですよ。だから、お話していくうちに、繰り返し、前も聞いた話を繰り返されるんですね。でも、そのことで、ああ、GOMAさんがまた伝えたいことなんだな、という風にわかったり。でも、ドキュメンタリーで撮ると、確かに映像としてオイシイというか、面白い。毎度、こういうふうにGOMAさんは違うことを言っています、とか。それはやっぱり僕の「わかる」描き方になっちゃう、それはしたくないと思った。
でも、GOMAさんに会ったときに感じたことをこの映画で再現したい、描きたいと思いました。あと、何ていうんですかね……作り手としてGOMAさんと話しているときに、カメラを安易に回すと、何か、GOMAさんに、ちょっと…作り手として負けだな、という感じが。「ああ、ここで回すんだ」みたいに思われたくないな、というか(笑)。GOMAさんは演奏しているときのGOMAさんではない、ごくプライベートの、私的なGOMAさんじゃないですか。普通のテレビの取材だったらたぶん撮るんでしょうけど、そこに関してはしたくないなと思って。
司会:なるほど。
松江:だって、音楽だけでGOMAさんが表現する、そこに感動したわけですから。病気と戦っているGOMAさんに心が動いたんじゃなくて、まず、ディジュリドウの演奏に心動いたということを忘れないようにしました。
司会:続いて、GOMAさん。今、一緒にご覧になっていましたけれども、感想はいかがですか。
GOMA:いや、感動しました、僕。監督、プロデューサーも含め、皆さん、スタッフ、本当にまあよく、こんな豪華な思い出アルバムを作ってくれたなあというのを(笑)。事故から4年が経って、僕もようやくそういうふうにちょっと思えるようになってきたというのと、ここ、家から一番近い映画館なんですよ。よくここに来ているんで、そこで自分が上映されているというその衝撃……そのふたつに、感動しました(笑)。
司会:今は音楽活動も再開されていらっしゃいますが、また改めて楽器を触って感じることとか、リズムは、毎回違うと思うんですが。今はもう、かなりのペースでやってらっしゃるんですか?
GOMA:そうですね。まあ練習というか……やっぱり、吹くという行為は毎日やりますね。それはなぜかというと、やっぱり、また忘れちゃうんじゃないかっていう不安を解消する手段としてがひとつ。で、やっぱり最近思うのは、単純にああ、この楽器がすごい好きやったんやな、というか。ずっと延々と吐きながら吸う、それでずっと音を途切れさせない循環呼吸法というのをやっていると、どんどん、どんどん、気持ち良くなってくるんですね。それで、ああ、やっぱり僕は好きでやってたんだなあというのを最近、リアルに認識し始めた。まあ、活動自体は、まだ事故の前みたいに頻繁にあちこちライブに行って、というのはできないですけれど、まあ月に1本、2本ぐらいの感覚で。そこに向けて常に練習、練習で。やっぱり、目標を持って日々過ごす、というのはいいですね。そこに向けて常に練習、自分を高めていって、そこで爆発させるという。何か、一本一本のステージやショー、まあ今日もそうですけど、そこに向かっていく自分のテンションの高まり方というのが、すごくなってきたんじゃないかなあ、と思います。
司会:松江監督とは撮影時からのお付き合いだと思いますが、最近、映画や趣味の話をされることはありますか?
GOMA:僕自体は、あんまりその…毎回、フレッシュなんで(笑)。何を話したかとか、あんま覚えてないんです。まあ、会うと、そのときどきで、最近自分が思っている、最近の感情みたいなのはあるんでね。それを監督に話したりとか。「昨日こんなん観た」とかね。そういう話で、会話のキャッチボールはしますけど。
松江:でも、本当にこの映画、映画作りを通しての、GOMAさんとの「初めまして」なんですよ。日付が出てましたが、2011年11月5日に撮影した、だからちょうど2年前なんですけど、完成したのがほぼ1年前の今頃なんです。だからGOMAさんと出会ってから1年後、映画完成時に、たぶん、初めてGOMAさんが「ああ、こういうことを松江は言いたかったんだ」っていう風に、わかってくださったというぐらいなので。映画が完成してから、地方や外国に行ったり、こうやって一緒に会って話してるときに、何かこの映画が本当に「初めまして」のきっかけなんだなあ、というか……普通、ドキュメンタリーって「相手と知り合ってから映画を作る」みたいなスタイルが多かったりするんですけど、僕はけっこう、この映画ができてから「僕はこうGOMAさんを観ました」というふうに相手に伝えた。そういう感じですね。
GOMA:「出会いの記録」ですよね。
松江:そうですね。はい。
GOMA:まず、今の症状のひとつとして、記憶がうまいことできない。まだ記憶をうまいこと使えないから、事故後に僕が覚えた数少ない人、監督なんですよね。そこで出会いがあって、それでこの映画につながっていって。そこからずっと、ひとつひとつの出会いを、大事に大事に、僕は受け取って、それをちゃんと記憶にして。で、できればこういう記録として残していくような、そんな生き方を今しているので。だから本当に、映画ができてから、何かいろいろ、スムーズになりましたね。これは、今まで自分がやってきた音楽という世界の中ではなかった広がり方というか、生き方というかね。
松江:GOMAさんは、事故前、もちろんこの映画の前のことは、やっぱり日記やアルバムが記憶代わりなんですよね。だから、映画を作っているあいだで一番怖かったのは、日記をお預かりしているときだったんですよ。この日記ノートをもし無くしてしまったら、本当にGOMAさんの記憶をなくしてしまうという…本当に生きるための道具なので。だから、GOMAさんにとって作品を残す、言葉を残すということは、生きていく形に残すということだと思ったので、そういうものにしようと思って作りましたね。映画を撮影してから編集している間に、この映画が何か、今後のGOMAさんの生きる道具に役立てばいいなというか、この映画をみたらGOMAさんの理解が早くなる道具、そういうふうになればいいなあとは思いましたね。だから、お預かりしていたアルバムや日記帳のような映画にしようと思ったんですよ。
でも、GOMAさんにとってのそういう道具は、僕らが想像する日記やアルバムとは全然違うじゃないですか。GOMAさんにとってそういうものになれば、きっと、どんな人がみても何か強いエネルギーの塊のようなものになるんじゃないかなあ、と。だからまず、最初はやっぱり、GOMAさんでしたね。届けるというか、観てほしいと思った対象は。