1>23 >>

ホーム映画祭アーカイブスゲストトーク集>フラッシュバックメモリーズ

開催日:2013年10月5日(土) ゲスト:松江哲明監督、GOMAさん(ディジュリドゥ奏者) 

★作品詳細・ゲストプロフィールはこちら

talk-2
official-image

©2012 SPACE SHOWER NETWORKS,INC.

talk-3

司会:皆さま、今日はご来場ありがとうございます。 さっそくですが、『フラッシュバック・メモリーズ3D』の松江哲明監督、そしてGOMAさんをお招きしております。どうぞ、温かい拍手でお迎え下さい。(拍手)
松江監督GOMAさん入場)
司会:改めまして、お客さま、いかがでしたでしょうか? 本作は、昨年の東京国際映画祭で初上映され、コンペティション部門観客賞を受賞。その後、約40か所で公開され、海外でも少しずつ上映が広がっている作品です。今日は、監督とGOMAさんに、映画についてお話をいろいろ伺いたいと思います。 まずは松江監督。今、ご覧になっていらっしゃいましたが、どうでしたか?
松江:席に座りたくなくなって、後ろで立って観てましたね。
司会:途中で立たれたのですか?
松江:ええ。久しぶりに3Dで観たので、この音はやっぱり劇場じゃないと出ないな、と。お話を作って伝える映画でもなくて。観ながら、ずいぶん大胆なことしているなあと。前半部分でお客さんに一緒にGOMAさんの活動の軌跡を観てもらった上で、GOMAさんの事故をちょうど真ん中に持ってきて。「事故に遭って記憶が全部消える」ということを、口で伝えたり、物語で映画にしようとすると、もっといろいろ仕掛けをしたり、言葉を使ったりして、ドラマを作らなきゃいけない。だけど、この映画に関してはそういうことをしたくなかったんですね。それはやっぱり、まず、GOMAさんの音楽のエネルギーを軸にして作ることを考えたので。できるだけ体感する映画にしたかった。まあ、それで、観ながら、ずいぶん大胆なことしているなあと思いましたけど(笑)、でも、すごく、シンプルでもあって。それができたのはやっぱりGOMAさんの音楽の力でしょうね。劇中にもありましたけど、震災後のGOMAさんのお披露目ライブを僕が観て、深く感動したので、そのときに感動したその体験を映画にしようと思った、そういう映画なので。一緒に観てくださって、ありがとうございました。
司会:これまでの松江監督の作品をご覧になったお客さまもいらっしゃると思いますが、まあ、率直な感想としては、これまでの、同じ音楽を題材に扱った『ライブテープ』や『東京ドリフター』とも、本作はまたちょっと違うような。以前の作品は、どちらかというと物理的にもその人と寄り添って歩くというか、後ろをついていくような傾向があったと思うんですが、今回はちょっと違いますよね。
松江:そうですね。

司会:その違いは、やはりGOMAさんの音楽ですか?
松江:そうですね。GOMAさんの音楽ですよね。まず、「歌がない」という衝撃(笑)。ライブを観たとき、ディジュリドゥを初めて見た。すごいですよね、長くて。あれを見たときに「ああ、これは飛び出すと面白いかなあ」とか。「これは3Dに合うな」とか。本当にそれぐらいなんですよ。ドラムスやパーカッションは動かないじゃないですか。3D映画って、動くものをあまり目で追うより、止まっているもののほうがいいんですよ。止まっているものの方が、立体感とか、「その場にある」感がすごく伝わってくるので。ライブでドラムス、ディジュリドゥ、パーカッションを見たときに「ああ、これ3Dにいいな」と思った、それぐらいの発想ですよ(笑)。
司会:「それぐらい」っていう映像じゃないですよね。もう「観たことのない映画を観た」という方がいっぱいいらっしゃると思いますけれども。
松江:そうですね。『ライブテープ』の前野さんの場合は、僕は前野さんの歌をすごく共感しながら聴いているので。やっぱり、一緒についていくというか、前野さんとはもう共犯関係というか、結構、考えていることとか、感じ方とか、表現の仕方とかが、すごく近いんですよね。ギター一本で歌うのを、ビデオ一台で撮るとか。でも、GOMAさんの場合は、全然、見たことのないところに連れて行ってくれるというか。だから、僕も新しい手法でやってみようと思ったし。
司会:なるほど。
松江:何か、この映画に関しては、僕の考える余地を入れたくなかったんですよ。なぜかというと、GOMAさんの体験したことって、やはり「わからない」。日本映画で病気を扱ったりする映画って、「わかろう」としたり、共感させるじゃないですか。僕はあれにすごく違和感があって。やっぱり、「わからない」「理解できない」こともすごく大事だなと思って。でも、3Dを使ったのは、GOMAさんのことを理解する映画ではなくて、GOMAさんの脳の中に入ってくるような映画。それでもやっぱりわからない部分もある。でも、むりやり「わかりますよ」という「僕のわかる次元」で描いてしまったら、それはきっといけない、そういうことをしてはいけないと思った。で、「そういう描き方でもいいんだ」と思えたのは、やっぱりすみえさんの日記ですね。すごく、GOMAさんに対しての距離感がキープされてるんですよね。GOMAさんが覚えていないということに対してすごい不安を感じられたりとか、震災のこととか、そういうことも日記に書かれていて、やっぱり「自分の位置で見る」っていうことがすごく大事だなと思って。だから、日記を読んだときに、「ああ、そのスタンスでいいんだな」と思えたので、僕もあえてそういうふうにしました。GOMAさんをわかるような描き方はしたくなかったですね。